最近、寝る前に勝手に脳内で考察が始まってしまい、なかなか寝付けない大弟です。インプット(情報収拾)を意図的に抑えてるのに勝手に脳内で意見を錬成し出して大変です。いや、錬成って言うほどの物では無いんです。だって毎日同じことしか考えてないんで。こういうのって自分が有名なブロガーならうれしい悲鳴なんでしょうけど自分はまだそうじゃないんで。
というわけでアウトプットしていきましょう!今テスト期間中なんですけど。
世の中には2通りの人間が居る。陽キャと陰キャだ。
…勿論、これは暴論である。実際には陽キャでも陰キャでも無い人も居るし、陽キャの性質を持ちつつ陰キャの性質も持つ人も居る。人の特性というのは無数の評価軸によって測られるべきである。しかし、陰キャの人が持ちがちな性格・性質・個性というのは存在する。つまり精神病の人は別の精神病を併発しやすいように、ある陰キャ属性を持つものは別の陰キャ属性を持ちやすい(陽キャも同様)ということである。
ここで「陽キャ」「陰キャ」という言葉について解説をしておこう。陽キャというのは明るい人のことでは無いし、ポジティブな人のことでも無い。「陽キャ」とは一つの属性を指すのではなく、複数の属性が合わさったイメージ像である。暗い陽キャやネガティブな陽キャも居るが、明るくポジティブな人は陽キャの可能性が高く、陽キャ属性を持ちやすいということだ。
だからこれを纏めると 100%陽キャ〜100%陰キャ までの一つの評価軸ができる。暗い陽キャは80%の陽キャだ、という風に。
そうすれば世の中には陽キャと陰キャしかいなくなるわけだ。
さて、陽キャと陰キャの考察をしつつ、それぞれの属性を纏めておきたい。
まず自分が考察して陽キャと陰キャの属性だと思ったものを並べておく。
一部納得できないものもあると思うが、それは解説して行く。
なおここでのイメージは100%の陽キャ陰キャであるので、「俺は陽キャだけどそんなんじゃ無いぞ」と言われても貴方は100%の陽キャでは無いというだけだ。「普通の陽キャはそんなことしないぞ」という文句は受け付ける。
陽キャ⇔陰キャ
外向的(広く浅く)⇔内向的(狭く深く)
ポジティブ⇔ネガティブ
明るい⇔暗い
幸福⇔不幸
多数派(平均的)⇔少数派(オタク)
情報が少ない(ネットしない)⇔情報が多い(ネットする)
住む世界が狭い⇔住む世界が広い
自己中心的⇔社会中心的
自分で考えない⇔自分で考える
感情的(無意識の影響が強い)⇔理性的(意識の影響が強い)
流行に弱い⇔自分の感性に当てはめて評価する
一つずつ解説する。
●外向的(広く浅く)⇔内向的(狭く深く)
陽キャが外向的で陰キャが内向的というのは言うまでもないだろう。
外向的・内向的という単語は意味を誤解されやすいものの一つだ。内向的というのは内気な人、恥ずかしがり屋をさすのはなく、心の働きが自分の方を向いている人のことである。
簡単に言えば上に書いた通り、広く浅く と 狭く深く である。
外向的な人は 友達は親密さより人数を重視し、行動回数が多い分一つの行動から多くのことを学べない。
内向的な人は 友達は人数より親密さを重視し、行動回数が少ない分一つの行動から多くのことを学ぶ。
●ポジティブ⇔ネガティブ
これも陽キャと陰キャの特徴なのは言うまでも無い。そしてこの特徴は 外向的⇔内向的 軸と深い関わりがある。
外向的な人は一つのことから多くのことを学べない。つまり反省や後悔をしないのである。
逆に内向的な人は反省しすぎるし後悔もしすぎる。
だから外向的な人はポジティブになりやすいし逆もまた然りだ。
●明るい⇔暗い
●幸福⇔不幸
二つまとめて解説する。
これらも陽キャと陰キャの代表的な特徴だ。
反省や後悔をしない人が明るくなり、そうでない人が暗くなるのは当然。
だから陽キャは幸福になり、陰キャは不幸になるのも当然。
●情報が少ない(ネットしない)⇔情報が多い(ネットする)
陰キャがネットをよく使うというのは言わずもがな。陽キャは恐らくネットは調べ物をするためのものと思っているのだろう。
その為陽キャと陰キャには情報格差が存在すると考えられる。
(なお陽キャが友達を選ばないのに対し陰キャが友達を選ぶのもネットを使うかどうかに関わっていると思われる。)
●多数派(平均的)⇔少数派(オタク)
陰キャは特異な趣味を持ち(いわゆる広義のオタク=「ひとつの事にものすごい熱中している人」)、陽キャは普通の趣味しか持たないというのも世間一般の認知だと思われる。
では、なぜ陽キャは変な趣味を持たないのだろうかと考えると、幸福なので別に普段通りに生活していれば良いと思っているからだろう。趣味というのは金がかかるものなので新たに手を出すのは躊躇われる。(その点ソシャゲはタダなので陽キャにも流行ったのか?)
さて、ここまでをまとめると
陽キャは後悔も反省もしない人で陰キャはしすぎる人である。そして陽キャは情報が少ないが、陰キャは情報が多い。
ここから一つ見えてくるものがある。
後悔・反省をしないということは学ばないということである。
陽キャは持つ情報が少なく学ばない。
陰キャは持つ情報が多く学ぶことが多い。
こうして考えるといくつか思い当たる節がある。
というか前回の記事で考察した「考えない人」と陽キャの性質があまりにも似通っている。
●住む世界が狭い⇔住む世界が広い
つまり陽キャにとっては世界は自分を中心に回るものなのだ。というか自分とその周囲以外は存在しないのだ。
彼らの世界に漫画はあっても漫画家は居ない。だから漫画村を使うことになんの躊躇いもない(「躊躇いが無い」が重要。罪悪感を感じながら見ているのでは無い)。同様に荒野行動でも遊ぶだろう。*2
対して陰キャは自分が社会の一部であると思っている。自分を矮小な存在と認識しているので自尊心に欠けやすく(=ネガティブ)、「なんで俺生きてるんだろう」とかどうでもいいことを気にして不幸になる反面、政治や社会問題に対して真摯に考えられる。 …陽キャは「社会の闇」を知っているのだろうか。
●自己中心的⇔社会中心的
上述のように陽キャにとって世界は自分のその周囲だけなので、利他的であろうが利己的であろうが陽キャは自分のことを考え社会のことを考えない。陰キャはその逆。
●自分で考えない⇔自分で考える
陽キャは外向的な上に反省も後悔もしないので自分の頭の中で情報を回すことがない。つまり自分で考えない。それにより常識を抵抗なく受け入れることができ、組織のリーダーまたは一員として統率の取れた動きができるというメリットがある。つまり集団に属すのに向いている。「自分で物事を考えないことのメリットとデメリット」は前回の記事参照 。そりゃ自分で何も考えないのなら多数派になれる。
内向的な人は自分で考えるが故に少数派になる。
●感情的(無意識の影響が強い)⇔理性的(意識の影響が強い)
理由は同上。但し自分で考えることができるからといって理性的とは限らない。あくまで自力で考える人は理性的な傾向が強いというだけの話。
●流行に弱い⇔自分の感性に当てはめて評価する
あえて特筆すべきか迷ったが価値観の相違は重要なので述べておく。
上述のように陽キャは無意識の影響を受けやすい。つまり常識(=世間)の影響を受けやすい 。それ故、娯楽(食事、テレビ、お笑い、ゲーム、映画など)の評価が流行に左右されやすい。世間の感性(作られた流行を含む)が自分の感性になるのだ。雰囲気で楽しめる人間なのだ。これはそこそこの娯楽を楽しみ続けるのに向いている。流行りを追いかけるだけで永久に楽しめるのだから幸福なのも当然だ。正直羨ましい。自分もこういう風にいい意味で脳内お花畑になりたい。
逆に陰キャは意識の影響が強いので流行の影響を受けにくい。流行っていることがプラス要因にならないので一見デメリットの様にも見えるがそうではない。一度100円満点の作品を見つければそれを永久に楽しみ続けることができるというメリットがある。陽キャは流行が廃れれば評価が下がるのでそれが出来ない。
以上が100%の陽キャと100%の陰キャの特徴である。
まとめると
陽キャは考えなさすぎ 陰キャは考えすぎ
ということだ。次回は世間においての陽キャの役割と陰キャの役割について話したい。
というか本来それを話したかったのに陽キャと陰キャの説明だけで3500文字て…
「人間が全て陽キャになったら世界は滅ぶし、陰キャになっても滅ぶ。陽キャと陰キャのバランスが大切」という話だ。
(記事作成5時間3,500字 疲れたぁ やる気になればこんなに長い記事書けるんだなー テスト前に掃除がしたくなる現象を逆利用すれば楽して記事がかけるのでは?)