『ケーキの切れない非行少年たち』より引用(太字、色付きは引用者)
しかし、私が驚いたのは約8割の少年が「自分はやさしい人間だ」と答えたことでした。どんなにひどい犯罪を行った少年たち(連続強姦、一生治らない後遺症を負わせた暴行・傷害、放火、殺人など)でも同様でした。当初、私は耳を疑いましたが、どうやら本気で思っていたのです。ある殺人を犯した少年も、「自分はやさしい」と答えました。そこで「どんなところがやさしいのか?」と尋ねてみると「小さい子どもやお年寄りにやさしい」「友だちからやさしいって言われる」と答えたりするのです。〝なるほど〟と思いました。そこでさらに私は「君は○○して、人が亡くなったけど、それは殺人ですね。それでも君はやさしい人間なの?」と聞いてみますと、そこで初めて「あー、やさしくないです」と答えるのです。逆にいうと、〝そこまで言わないと気付かない〟のです。いったいこれはどういうことなのか。これではとても被害者遺族への謝罪などできるはずがありません。逮捕されてから少年院に入るまでひと月以上は経っており、その間に自分の犯した非行が十分に分かっているはずなのに、です。
宮口幸治. ケーキの切れない非行少年たち(新潮新書) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.398-407). Kindle 版.
うん…なんというか… うん。
認知の歪みだとかダブルバインドだとか
そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を 味わったぜ…
って感じだ。
…この本でも散々主張されていることだけどただ、ただ純粋に頭が悪いだけだ。
本当にただ、殺人を悪いことだと "思い付く" 前に殺人をしてしまうだけなのだ。
前回の記事でも書いたように解説します。
引用文中の非行少年の思考回路はこうです。
①自分は善人だ。
②自分は人を殺した。
③人を殺すのは悪人のすることだ。
要約すると
①自分はXだ。
②自分はYをした。
③Yをした人はXでない。
ですね。
②③より容易に「自分はXでない」が演繹的に導けます。矛盾してます。これが彼の脳内でどう処理されているかというと、
①自分はXだ。
②自分はYをした。
③Zをした人はXでない。
です。
つまり彼の脳内では人を殺すことと人を殺すことは異なることなのです。
というよりか、本当に言われないと思い出せないほど「人を殺してはいけない」が脳の情報を取り出しにくい部分に存在するのでしょう。
実際、言われたら納得してるので二重思考というより考え足らず、ですが。
まあ、「二重思考」の原作(「1984年」)のパターンもある意味考えたらずだと考えることができなくもないです。
それを言い出すと 論理的でない=考えたらず になってしまいますが。
多分、我々が牛肉を食べる時にその過程に牛が殺されていることを考えないのと同じでしょう。
追記:続編