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後生だから
お願いをする時に使われる言葉。
後生とは仏教における死後のこと。徳を積むと極楽に行けるらしい。
要するに「今私を助けてくれたら極楽にいけるよ!だから助けて!」という殺し文句なのだ。
これほどまでに厚かましい単語があっていいのだろうか。
「恩を売ると思って!」というのならまだともかく、初対面の人にさえ使える言葉に何の意味があるのだろうか。
あれか。言うだけタダ、というやつ。
なお、この語を死んだ人に対して使うと非常に煽り力が高い。特に仏教徒。
死んだ偉人に対してドンドンぱふぱふな感じで使おう。
使用例
「後生だから俺を殺してくれ!」
※仏教では自分の手で人を殺すことを自殺と言い、地獄に落ちることになる。
「後生だから飲み会の数合わせに来てくれ!」
※仏教徒は不飲酒(ふおんじゅ)。酒を飲むのは戒律で禁止。
「後生だから傘を持って来てくれ!」
※敬虔な仏教徒は虫を殺さないように雨の日は外に出ないらしい。すごい。
後生だから②(追記:2019/10/24)
上で「後生だから」という単語は「天国に行く為の徳を積むと思って助けてくれ」という非常に厚顔無恥で傲岸不遜で独断専行で慇懃無礼*1な単語である、と紹介した。
のだが、それが間違っていることが判明した。
ここにお詫び申し上げたい。
実際は「後生一生のお願いだから」の省略表現として「後生だから」があり、その意味は——
「今世と来世を合わせて一度しかしないようなお願いだから頼みを聞いてくれ」
——という意味らしい。
もっと厚かましいわ!!! なお胡散臭いわ!!!
つまり。あれか。
全く信用ならないと俺の中で話題の、そして皆の中でも話題に違いないであろう、「一生に一度のお願い」なる単語。
あれの2倍信用ならないのか。
ふざけんな。
席巻
この単語だけ見せられて読み方が分かるだろうか。
「セッケン」である。もう一度言う。石鹸である。
「風土病がセッケンする」だなどと口頭で言われたなら手洗いうがいで病気が治ったのかとも思ってしまいそうだが、
その実態はただ病気が世界に”流行”——ラテン語でインフルエンザ(influenza)——しているに過ぎない。皮肉が過ぎるのではないだろうか。
そもそも席巻、「席を巻く」とは何なのだろう。
席を巻くように集めるがごとき流行度とでも言いたいのだろうか。
もしそんな席巻能力があればイス取りゲームで最強を名乗れるのではないだろうか。
いやそれ以前に反則か。
使用例
「ラグビーの日本選手が今世界を石鹸している」
「この世界は微生物に席巻されていると言っても過言ではない」
ゲシュタルト崩壊
ブログを読んでいると読めない感じの漢字が出てくるだろう。
それがゲシュタルト崩壊だ。
私、あるいはあなたが読めない漢字があるのならばそれはゲシュタルト崩壊なる奇怪な現象のせいなのだ。
ゲシュタルト崩壊というパワーワード(当時基準)が日本のネット界隈を席巻していたのはいつの頃だったか。
「ゲシュ」なる汚い音節に「タルト」なる美麗で美味そうな音節が続き、そしてついには「崩壊」してしまう。
この一単語に何か文学的なトキメキを感じずにはいられない。
喰われて崩壊するのだろうか。
化けの皮が剥がれて崩壊するのだろうか。
ゲシュとタルトの不協和音が我々の口内を崩壊させるのであろうか。
そこには無限の崩壊が広がっていて、それは甘ったるい異臭を漂わせながらドロドロに蕩けた手で我々の好奇心に肉薄させるのであろう。
いやだなそれ。
使用例
「あなたがこの文章を読めているということは、あなたはゲシュタルト崩壊を起こしているのかもしれないし、ゲシュタルト崩壊を起こしていないのかもしれない。でもそんなことはどうだっていいのだ。この喧騒の中では。」
次回
*1:表面上の態度は礼儀正しいが心の中では相手を軽く見ている様