反社会的思考のススメ

【反社会的】[形容動詞]社会の道徳や規範から大きく外れているさま。 道徳、常識、法律、そういうものを超えた考え方を勧めたい。…勧めたかった。多分2019年11月は真面目に更新できてます。ブログ名詐欺な気はしないでもない。最近は毎日更新してるから仕方ない。 ←何言ってんだこいつ。数年後に見たらむっちゃ恥ずかしいこと言ってんな

書籍『内向型を強みにする』要約&感想 内向型で悩む人は見ろ!

1人でいるのが気楽だったり、

他人の注目を集めたく無かったり、

時々頭が空っぽになってしまったり、

お風呂の中で、誰も気にも止めていないようなちょっとした失言の反省会を開いたり

あ、あと暗闇の中で家の中を歩くときに画鋲が落ちてるかもとか思ってすり足で動いたりする。

 

そういう人間を内向的な人間と言います。5つ目が自分がやった内向的行動の中で一番酷い。いや、高校生の時テストで酷い点取ったせいで自転車で帰る途中に涙が出てきて家でもギャン泣きして文字通り鳥肌が立った時の方が酷いか。

 

内向的な人は「人嫌い」だの「社会不適合者」と言われがちですが、そんなことは全く無く、むしろ特にこれからの社会では内向的人間が活躍するようになるだろう、という内容の本がこちら。

 

https://www.amazon.co.jp/内向型を強みにする

内向的な人はリンク先のレビューを見てみると同じ境遇の人がいて安心すると思います。てか見ろ。正直この記事をみるよりよっぽど心が洗われるぞ!

 

この本を読んで内向的な人に知ってほしいことを書きたいと思います。

 

 

※以降、内向的な人向けの内容です。外向的な人や中間の人は別の記事参照。

 

 

 

 

割と勘違いされがちですが、内向的ってのは内気や恥ずかしがり屋とは違います。内向的っていうのはエネルギーが内側を向いている人のことです。 

「割と勘違いされがち」と言いましたけど、内向的な人自身も内向的ってのがどういうことなのか全然理解できていません。

 

端的に言えば、「内向的=狭く深く」「外向的=広く浅く」です外向的な人間は1日で100を聞いて10を知るのに対し、内向的な人間は1日で1を聴いて10を知る。

外向的な人は10しか聞けないと1しか知ることができないし、内向的な人に10を聞かせると頭がショートして思考停止してしまいます。外向的な人は1を聞いて1を知る事が出来ないし、内向的な人は1を聴いてちょうど1だけ知る事が出来ない。

突然人から質問されて内容が薄くとも即座に答えを言う(ことしかできない)のが外向的な人で、時間がかかるけど内容の濃い答えを言う(ことしかできない)のが内向的な人です。

 

代表例はかのアインシュタインです。

 アルバート・アインシュタインは、環境がいかに残酷に内向型人間を傷つけ、その潜在能力を損なうかを示すいい例である。デニス・ブライアンはその著書『アインシュタイン――天才が歩んだ愛すべき人生』(三田出版会)で、一八〇〇年代のドイツの学校教育が、アインシュタインにとっていかにつらいものだったかを物語っている。「彼は打ち解けない無口な少年――傍観者だった」と。事実、アインシュタインは、丸暗記ができないことやその奇異な行動ゆえに、精神に障害があるか、〝頭が鈍い〟かだと思われていた。彼は、他の生徒たちのように質問にきびきびと答えることができず、ためらってばかりいた。仮にドイツの学校にずっといたら、優れた物理学者にはなれなかっただろう。幸い(皮肉にも)、父親に事業の才覚がなかったがために、一家はイタリアへ移ることとなった。アインシュタインの妹のマーヤは、たった六カ月で兄がすっかり変わったことに、驚きの目を見張った。「あの神経質で打ち解けない夢見る少年が、辛辣(しんらつ)な冗談を言う、愛想のいい社交的な若者になったのです。原因は、イタリアの空気? 温かな人々? それとも、煉獄から脱出できたせいでしょうか?」彼女はそう言って不思議がった。 後にスイスの学校へ進学したとき、彼は最初、そこにドイツの学校のような息苦しい雰囲気があるのではないかと案じた。しかし「アルバートは、その自由闊達な雰囲気に胸をおどらせた。教師らは学生らとさまざまな事柄について――ドイツの学校では考えられないことだが、政治についてさえ――こだわりなく論じ合い、教室を吹っ飛ばされないかぎり、学生らが自ら化学実験を考案し、実践することを奨励した」晩年、アインシュタインはこう言っている。「わたしはすごく利口なわけじゃない。ただ、いろいろな疑問に人より長めに取り組んだだけだよ」内向型の人は、適切な環境のなかでのみ、その才能、たとえば、集中して探求する能力を、発揮できるのである。

 内向的人間が「浅く深く」、一点集中型の人間である事がわかる好例。

 

 

内向的な人間は自己中心的じゃない。

むしろ外向的な人よりよっぽど他人のことを考えている。そのちゃんと考える姿が外向的な人からみると怠けているとか思われるだけ。

内向的な人間は非社交的でもない。

密度の高い関係を望んでいるだけだ。多くの人と話すだけで体力の尽きてしまうために行動を(悪い言い方をすれば友達を)選んでいるのだ。

 

自分もだいぶ内向的な人間だが、外向的な人間は「無駄な会話」が多いと感じる。もちろん挨拶など、コミュニケーションとして多少必要なのは分かるが、なんというか俺にとっては「どうでもいい会話をしてるより無言できまりが悪いほうがマシ」なのだ。相手が話題を出さないなら黙ってた方が心地いいのだ。まあ稀に結構なイベントが自分の人生に起こった時はそれを話したくなるけど。「内向型の人は、話すための話はしない。」と本に書いてある通りだ。

但し自分が詳しく語れる話は饒舌に語る。「オタクは早口で喋る」というやつだがそれは 内向的=一点集中=落差が激しい=不安定 なせいだろう。専門分野に関して饒舌になるのは当然というものです。

 

今日、外向的な人間の方が評価されてしまっています。その理由は概ね3つです。

◯考えがまとまるまで話さない

単に考えてから話そうとしているのだが外向的な人からは謎めいているとか情報を出し惜しみしているとか思われるっぽい?

◯自信が無い

内向型な人は自分の意見が本当に正しいかを常に考え続けているので(その考えは外向的な人より何十倍も思慮深いにも関わらず)自分の意見に自信が無い。

◯外向的な人の方が多い

数の暴力は正義。多分世界が内向的な人ばかりになったら外向的な人は「周りに流されやすい」「おちゃらけた人」「節操無し」などと言われるに違いない。

 

そのせいで内向的な人間は自虐的になり、引っ込み思案になってしまっている。

 

内向的な人は思慮深い、悪く言えばチャレンジ精神がない為、人生の経験値が低い(その代わり思考の経験値は高い)。

だけれども、絶対に内向的な人が知っておくべきことがあります。

内向的な人は考え過ぎてしまい、自分がここで会話に割り込んだら邪魔じゃないだろうかとか思います。個人的にはむしろこれ思ってない人は本当に内向的な人か?と疑います。

外向的な人は会話を邪魔されても特に気にしないし、少々の失言なんか30秒で忘れ去ります*1。誰かを傷つけても謝ればそれで済みます。

それもこれも内向的人間に対する迫害、偏見のためです。

 

 

 

内向的か外向的かは遺伝的に決まっていて、どんな人間も超内向的から超外向的までの軸のどこかに属します。もちろん中間の人も存在します。

内向的な人は脳へ流れる血液量が多い(=思考量が多い)とか神経の伝達通路の長さが異なるとか体の作りがマジで違うのでどうしようもないです。(こういう科学的事実を知るたび外向的より内向的な人の方がお得じゃね?という気分になれる。楽しい。)

外向的な人間を演じようとすべきじゃないです。内向的な人が外向的な人を演じるのは左手で字を書くようなもので、体質的にかなり難しい。重要なのは自虐的にならないことです。

自分、20歳になりましたが、いまだに「風呂での反省会」が生きたことは一度もありません。自虐しないようにしましょう。単に行動を起こすのに時間がかかるだけです。その分価値ある行動ができます。みんなあなたの意見を聞きたいと思っています。仮にあなたの意見に価値がなかったとしてもそんなのは外向的人間の間では普通のことなのでなんとも思われません。

 

 

 

内向的な人はたとえ会話が出来なくともそれは仕方がない事と割り切り、決して自分が劣った人間ではないと思おう。アインシュタインも同じだったんだ。恥じる必要はない。天才肌と思えばいい。

 

この本には具体的にポジティブになれる方法も書いてて、電子書籍版は安いのでおすすめです。っていうかオタクとか鬱とか喋れない人とか人の顔覚えられない人とかレビューだけでも見ろ。同類がいるぞ!

Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 内向型を強みにする

 

 

最後に本の一部を引用して終えようと思う。

 すべての人間に多くの面があることを忘れないでほしい。善と悪に分けられてきた特質は、外向性と内向性だけではない。どうやら人間には、自分たちをいい部分と悪い部分に分ける癖があるようだ。

(中略)

知性は合理的な思考と結びつけて考えられてきた。感情は、不合理で価値の劣るものと見なされた。人間は〝頭〟と〝心〟に分けられていた。ところが、だれもが気づいているように、世の中には、非常に知的だけれども、常識や他人に対する思いやりには欠けた人もいる。その一方、共感の心と知恵にあふれているが、さほど知的でない人もいるのだ。

(中略)

わたしたちは頭と心の両方を必要とする。反対の能力を持つ人から学ばねばならないのは当然のことだ。この社会は、人間性のあらゆる側面の恩恵を受けている。
(pp.38-39 太字・赤字は引用者) 

 つまるところ、すべての人間は尊重される必要な人間ということだ。

 

 

 

 

 

 

*1:それどころかいじめをしていた人が大人になったらそもそもいじめをしていたことを忘れていじめた相手に普通に友達として話しかけるということもそれなりにあると聞く