「社会の歯車」とは「考えない人」のことである。
何故ならば「考えない人」は「NPC」だからだ。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
…えー、
みなさん、お久しぶりです。数少ない読者の方々(2名)には申し訳ないです。大弟です。ブログを始めた頃は毎日更新しようとしていましたが、毎日更新というのは存外に難しいもので、書くことのネタがあるか無いかということより時間の確保とモチベーションが問題ですね。このブログはこれまでの記事のように論理的なこと以外書かない・堅苦しいこと以外書かない、というつもりでしたがそういう細かい事を気にしているといつまでたってもブログが進まないのでこのような文章を書いているわけです。元のスタイルで文章を書いていると起伏に乏しく刺激がなく、ストレスが溜まります。
こういう事を書いているとこれまでの反動でいくらでも綴れそうなのでこの辺にしておこう。以下本編。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
RPGに於けるNPCというのは「システムに組み込まれた既定の動作しか出来ない者」のことである。同じことしか言わない街の住人、ランダムで行動する味方キャラクターなどだ。プレイヤーが操作する以外のキャラは全てNPCと言ってもよい。
「歯車」とは物言わず仕組みを動かし続ける者の比喩である。
NPCが何故歯車たるかといえばNPCは自力で成長しないからである。
NPCは同じ行動しか繰り返さない。あるいは確率でしか行動しない。
もちろん、味方キャラなど成長するNPCは居るが、それはシステムに定められた成長だ。プレイヤーが学習能力を持って行動を変えたり試行錯誤するのに対して、NPCは既定の成長しかしない。
これが「考えない人」である。
つまり、考えない人はその行動・価値観を自力で変化させられないのだ。
「考えない」というのは動物的である。人間は賢いから人間なのであって賢く無いならそれは人間として扱われるだけの動物だ。感情によってのみ物事を判断し行動する。
考える人の起こす犯罪は犯罪を起こさない方が有利になる社会を作る事で解決できる。
それに対し、考えない人の起こす犯罪は「相手は誰でもよかった」などというのだ。
これではどうしようもない。そういう人がそういう思考にならないように、論理的にでなく感情的に誘導するしか凶行を止める手段はない。*1
言うなれば考えない人はシステムの一部であり、考える人はプログラマーである。考えない人が犯罪を起こしたとすればそれはプログラム(公教育や政策)のミス、あるいは必然的犠牲(失業率は必ず0にならないというようなもの)として扱われる。
何故なら考えない人には自由意志が存在しないからだ。彼らの行動は自分の意思で変わることはなく、環境と他人と本能に言われるがままに行動している。それゆえ責任を全て他人に押し付けることが出来るのだ。もちろん法的な責任は本人が引き受けるわけだが、それで失った命や価値は戻ってこない。では何故彼は犯罪を起こしたかといえば環境が悪かったからの一言で済んでしまう。
考えない人は日本に少なくとも数百万人はいるから一人や二人増減しても大して意味はない。だから「相手は誰でもよかった」ではなく、「自分は誰でもよかった」なのだ。一人の凶行を止めようとも第二第三の「相手は誰でも——」が現れるに決まっている。
考えない人が普通に暮らそうがヤクザになろうが聖人になろうが、それは自分の意思で考えてなった訳ではない。それは「現実」というプログラムに従っただけの動物のように生きる生物だ。
プログラムに従うものをそのプログラムの一部と捉えても何の問題もない。
そう考えれば「考えない人」の行動は現実のプログラムの一部と言える。
つまり「考えない人」=「現実というプログラムの一部」=(「NPC」=)「社会の歯車」なのだ。
自分なりに表現すれば「考えない人は人間としてしか扱われない」とでも言えばいいだろうか。いかにも自分が好きそうな表現だ。
ただし、「考えない人」になるなと言いたいわけでは無い。
考えるのは簡単なことでは無いし、時間も手間もかかる。それを惜しむのならそれはいい。ただしそういう人の人生は他人に容易に操作され、自分ではコントロールできているつもりにさえもならない物である。それを自覚すべきだ。
まあそれを自覚した上で考えない人に成りたいのならあなたは十分物事を考えられる人なので考えない人には戻れないのだが。
ある意味で「考えない人」になるというのはハイリスクハイリターンな選択と言えた。
考えるというコストを削減する代わりに今と未来が見えなくなるからだ。
情報社会の現代では「考えない人」はハイリスクローリターンになっている気はするが。
逆に未来、人間より賢いAIが生まれたら一切物事を考えずAIから供給される物を食って生きていくのが最も幸福になりうるので、そうなればローリスクハイリターンになるだろう。
…結局総合的に見たらハイリスクハイリターンじゃないか。
なお余談だが考えない人は数百万人いるとか言っておきながら何だが、そもそも考えない人が存在しているのかさえ確かでない。実際に会ったことがないから。但し存在はしているはずだ。ネット上に姿を表さない人が多いだけでいるはず。ツイッターでもたまに見かけるし。
自分は考えない人というのがどういう生活パターンを送っているのかがさっぱりわからない。
- 暇さえあればテレビをずっと見ていてその内容を100%信じている
- ネットは調べたい事を調べるための道具でしかない
- ブログや本は当然見ない
- ツイッターやフェイスブックを使わないか、使っても身内の情報を知るためだけに使う
- 趣味は友達と話す事とソシャゲ
- 政治は自分に関係のない事だと思っている
みたいなイメージはあるのだが…(これに当てはまる人を馬鹿にしているわけではありません。念の為。)
そもそも「一般人」というもののイメージが湧かない。自分の身の回りには大学に進学した人しかいないのに「現在の大学進学率は50%」と言われると自分と全く異なる世界に生きている人がいるという錯覚に陥る。いや、実際にいるのだろう。大学に行かないのが当然という世界に生きている人が。
自分と違う世界に住んでいる人が山ほどいると解っている中では、同性別同世代の人のプロトタイプさえ想像できない。
(作成時間4時間3000字。時間がかかりすぎているか?いや、どのサイトも参考にしなかった分かなり短い方だな。)
*1:※基本的に自分の記事は補足を見なくても済むようにしたい 補足欄は批判的に物を見る人の為のものである というより自分で自分の記事を見た批評を書いているというべきか。
知的思考能力と我慢強さは別の能力ではあるし、「相手は誰でもよかった」というのは八つ当たりなのだから人生に行き詰まらない社会を作れれば考えない人の犯罪率も下がるとは考えられるが…まあ「相手は誰でもよかった」という言葉は重要ではないのでどうでもいいか 多少印象的な言葉を使いたかっただけなのでどうでもいいが。