反社会的思考のススメ

【反社会的】[形容動詞]社会の道徳や規範から大きく外れているさま。 道徳、常識、法律、そういうものを超えた考え方を勧めたい。…勧めたかった。多分2019年11月は真面目に更新できてます。ブログ名詐欺な気はしないでもない。最近は毎日更新してるから仕方ない。 ←何言ってんだこいつ。数年後に見たらむっちゃ恥ずかしいこと言ってんな

虚無主義って隙間の神と同じで詭弁なんじゃないか?

※以下での虚無主義は道徳的な意味で考えてください。

自分は虚無主義者、という訳ではないが虚無主義が正しいってのが蓋然性が一番高そうだなと思っています。

何故なら虚無主義は絶対に反論できないから——

 

ということを考えていたらふと思い当たりました。

絶対に反論できないって隙間の神と同じでは!?

 

・隙間の神

詭弁の一種。

 科学で説明できないことは超自然的な存在(神)によるものだ、とする論法のこと。

科学の知見が広まると共に科学で説明できない範囲が減っていき、同様に神が存在できる範囲も狭まることを揶揄して言う。

太古の昔は「雷とかいうよくわからない現象は神が怒っているに違いない」と考えられていたがこれが隙間の神である。

 

隙間の神は常に主張できる論法だからこそ詭弁だとされる。

この世の全てが科学的に説明されるなんてことはあり得ないのだから「分からない現象は神のせいだ」といつでも言えてしまう。

原因が分かっていないのだから当然それが神の仕業でもおかしくない。

だから絶対に(発言時点での)論理の破綻は起きない。

そもそも論理を超越する存在を仮定しているのだから議論の対象にできない。

 

でもそれは虚無主義に対しても言えるのではないだろうか。

虚無主義は常に主張できる論法だ。

この世の善悪が全て数値化されるなんてことはあり得ないのだから「全ては無価値だ」といつでも言えてしまう。

虚無主義は矛盾が絶対起きないから論理の破綻は起きない。

そもそも倫理を超越する理論を仮定しているのだから議論の対象にできないのでは。

 

 

 

 

という訳で虚無主義は隙間の神と同じく詭弁と言えるのかを検証したい。

 

虚無主義と隙間の神の共通項

  • 矛盾は絶対に起きない
  • 常に主張できる

虚無主義

  • 前提が小さい(全ては0という事だけ)
  • 決して破綻することはない

 

隙間の神

  • 前提が大きすぎ(神の存在)
  • 何度も覆されてきた(雷は神の仕業ではなかった、少なくとも科学で説明できるものだった!)

 

 

一部を見ていこう。

 

 

虚無主義

  • 矛盾は絶対に起きない

 

虚無主義は常に価値が0になるので矛盾が起きない。

例えば「人を殺させるのは悪で人に嘘を付くのも悪」とする。そこに殺人犯が、あなたの家に隠れている友達を捜して玄関に現れる。殺人犯に「友達は家にいるのか?」と言われたとする。

するとあなたは嘘を吐いても吐かなくても悪となってしまう。

ここに「人はうまく行動すれば悪事を働かずに済む」というルールもあればこれは矛盾だ。

だが虚無主義には0+0=0しかないので矛盾は決して起きない。

 

 

 

虚無主義

  • 前提が小さい(全ては0という事だけ)

隙間の神

  • 前提が大きすぎ(神の存在)

隙間の神はそれを成り立たせるのに非常に強い前提を使う。

神、ないし超自然的存在を仮定した時点で"超"自然なのだから何でも成立する。

突然重力が反転するかもしれないし、世界は3秒前に生まれたかもしれない。

 

なんだろう。そう、例えば君が10秒後に爆発するという前提を使ってみよう。

となると君の両親はテロリストなのかもしれない。そして君の体内に爆弾を仕込んだもののそれがうっかり爆発してしまったのだろう。そうに違いない。

よって君の両親がテロリストであることが証明された。

…というようなことを大真面目で言うのが"隙間の神"だ。

 

神がいるなら「なぜ神がいるか」を言えよ…

 

それに対して虚無主義は前提が非常に小さい。というか何も仮定しないに等しい。*1

そのためオッカムの剃刀(前提はできる限り少なく単純にすべしという科学的指針)に従えば虚無主義は肯定されてしまう。

 

…というかそもそも倫理の前提というものの存在が怪しい。

例えば今の社会と「悪人が幸福な今の社会」を比較してみよう。もちろん善人が不幸になることは無いし、悪人が増えることもない。

読者がどちらの方がいいと思うかは関係ない。

「悪人が報われるなんて間違ってる」という人も居るだろうし「幸福な人が多い方がいい社会だ」と思う人も居るだろう。(自分は後者)

だが両方いる。両方いるということは、「幸福に暮らせる方が良い社会である」は自明ではない。ということは幸福であるのは良いことでは無いかもしれず…

実際問題、現在の倫理学の二台巨塔「義務論(ルールを守れ)」「功利主義(幸福ならOK)」が完全に対立してるので…うん。

 

 

 

虚無主義

  • 決して破綻することはない

隙間の神

  • 何度も覆されてきた(雷は神の仕業ではなかった、少なくとも科学で説明できるものだった!)

地震、雷を代表としてかつては神の仕業とされたことが科学的に証明された例は枚挙に暇がない。物理学、生物学はだいたいそう。

つまり隙間の神は何度も失敗しているのだ。前例がある。

(隙間の神は科学で説明できない部分を神の仕業だとすることである。科学で説明できても神の仕業かもしれないがそれは「隙間の神」論法ではない。)

それに対して虚無主義は何も主張してないので破綻しません。

仮に天国の存在が発見されて良いこと(だと一般的に言われること)をしてれば天国に行けるとしても虚無主義は否定されません。

それは勉強をして難関大学に入るがごとく、努力をして天国に行くという選択肢が生まれるだけで、何が善行であるかを決めるものではないのだ。

 

 

 

 

 

まとめ

虚無主義と隙間の神は以下の点で大きく異なる。

  • 前提の大きさ
  • 失敗した前例の数

初めは、虚無主義って意外と簡単に論破できてしまうのでは?とも思ったがしぶといものだ。

書いていて思ったが「隙間の神」は科学に対する論法なのに対して、「虚無主義」は倫理学に対する論法である。

反証可能性を科学の礎とするのであれば倫理学は科学ではない。

まあ科学じゃないなら詭弁も誤謬もへったくれもない。むべなるかな。

 

 

 

 

*1:何も仮定しなければある価値観の逆も成立するので善悪の期待値を取れば全て0になる。はず。