反社会的思考のススメ

【反社会的】[形容動詞]社会の道徳や規範から大きく外れているさま。 道徳、常識、法律、そういうものを超えた考え方を勧めたい。…勧めたかった。多分2019年2,3月はオンラインスロットのことばっかりやりそう。

ブログ「道徳的動物日記」のススメ 動物や女性の権利問題の知見集!

さて、今回は「道徳的動物日記」というはてなブログを紹介しようと思う。

と言うのも自分の意見との擦り合わせの為に目ぼしい記事を(一週間ぐらいかけて)読み漁ったってしまったからで、折角だから評論を書いてみようと思い至ったわけだ。

知らない人のための紹介と筆者や内容の評価を両方兼ねた文章で、ややまとまりに欠けるがご了承いただきたい。

 

タイトルにあるとおりの動物に関する道徳の記事も多いが、「権利・平等」の倫理・道徳全般をテーマとするブログだ。動物・女性・性的少数者の権利に関する意見やどこまで平等であるべきかといったような記事が並ぶ。

「フェミニスト」「ポリコレ」といったような単語に若干の胡散臭さ・面倒臭さを覚える方も居るかもしれないが、このブログは感情論ではなく極めて論理的に話を進めている。その分堅苦しくはなるのだが…

一例を挙げよう。

davitrice.hatenadiary.jp

ぶっちゃけこのブログの内容の7割は上の記事で済んでしまう。この内容を把握し納得してしまえば時事ネタに関しても彼(女)と同様の結論を得るだろうからだ。と言う訳で面倒臭い方は上の記事だけで良いのできちんと納得・反論出来るまで読み漁って欲しい。私が読者に望むのはそれだけです。)

「ある存在を足で蹴る」という行為は、蹴る対象が赤ん坊や鼠などの小さくで脆弱な存在の場合には重大な危害となる可能性があるが、体が大きくて丈夫なゾウやカバなどを蹴ることはほとんど問題とならないであろう。そして、感覚能力が全く存在しない小石や銅像などを鞭で叩いたり蹴ったりすることは、小石や銅像は痛みを感じることも不快に思うこともありえないのだから、基本的には全く問題とならない。

(中略)

「必要もなく植物の生命を奪うのはいけない」という考え方が一般に浸透しているのは当然のことかもしれないし、有益なことかもしれない。しかし、「植物を傷つけたり生命を奪うことも、動物を傷つけたり生命を奪うことも、どちらも生き物を傷つけたり生命を奪うことには変わらないから、同じことだ」という考えは否定するべきである。生き物という点では同じでも、傷つけられる際に苦痛を感じたり嫌だと思う感覚能力があるかどうか、死に対する恐怖や生き続けたいと思う気持ちがあるかどうかは、傷つけられたり生命を奪われたりする当事者にとって重大な事柄である。「生き物である」ということはその存在を傷つけることが不正であるかどうかを判断するには不適当な線引きであり、「感覚能力があるかどうか」ということが適当な線引きである。

 かなり堅苦しい。改行もなく硬い単語ばかりが並ぶ。だがその分論理的であり説得力は強い。

なお「そもそも道徳は感情的に考えるものであって理性的に考えるものではない」という意見の方はこちらへ→心理学者ポール・ブルームの反・共感論 - 道徳的動物日記

 また、誰でも理解できる範囲の語彙のみを豊富に使っており、分かりにくい比喩や煙に巻くような訳の分からない文章———もちろんその大部分は読み取る方の読解能力・知識不足によるものだろうが*1———は存在しない。

皮肉や罵倒は無く、あくまでも論理的記述に努めている。そのため読んでいて面白いものではないがその分誠実であるということだろう。自分と違って。

 


参考文献・サイトが非常に多くかつ丁寧であり(英語さえ堪能ならば)原文を読むことも容易い。

というか記事の5割が海外の倫理学者の文章の翻訳と解説、それに対する自身の意見でありもう半分は時事ネタ(日本海外問わず)なので原文が英語なのは致し方無しだろう。逆に言えば倫理学者のフロンティアに日本人が居ないという事でもあるが。


倫理学・道徳に関しての記事は2018/12/09時点で200記事ほど存在する。*2
記事の更新頻度は月に3〜15記事だったのだが最近9ヶ月(2018/03-2018/12)ほどは更新されていない。

 

非常に論理的で丁寧、かつ独特なブログテーマであり秀逸なブログと言えるだろう。

(特に女性や動物などの差別についての)倫理学・道徳について知りたいならこのサイトを見るだけで良い。このようなテーマに統一したブログは自分の知る限り数少ない。興味があるなら(興味がなくてもせめて上の記事だけでも)是非見て欲しい。

 

 

以下にいくつかオススメの記事を挙げておく。

davitrice.hatenadiary.jp

(以下孫引きであることに注意)

近頃のキャンパスでは、二つの単語が急速に流行りだしている。マイクロアグレッション は、悪意が無いのにもかかわらず暴力の一種であると見なされる、些細な言葉や行動のことだ。例えば、一部の大学のガイドラインでは、アジア系アメリカ人やラティーノ系アメリカ人に「あなたはどこで生まれたの?」と聞くことは、お前は本当のアメリカ人ではないという意味が含まれているということで、マイクロアグレッションとされる。

「マイクロアグレッション」「トリガー警告」という耳慣れない単語についての記事だ。

前者は調べて見ると次のような記事がヒットする。
「マイクロアグレッション」って知っている?何気なく使っている言葉に潜む差別 | 旅するダンサー自由記
上の孫引きを見てもそうだが「お前は何を言っているんだ」の画像が頭に浮かんでしまう。

 

 

davitrice.hatenadiary.jp

要約すると、以下のような内容だ。

宗教心の強い人は様々な指標において「善き市民」であるが異なる意見に対して不寛容な傾向がある。また、幸せになる傾向も強い(収入などで統計を調整してもこの傾向はある)が周囲が同じ宗派の信徒である場合より多様な宗派の友人がいる人の方がより幸せになるようだ。



 

 

davitrice.hatenadiary.jp

たとえば、ある意見に対して「この意見は自分のことを非難している」と感じた人は防衛的になり、その意見を否定して認めないことに全力を尽くすようになってしまうものである。このことをふまえれば、「市場に出回っているチョコレートのほとんどは、児童労働を行っている途上国のカカオ畑から採れたカカオを原材料としている」とか「畜産品の生産過程では大量の苦痛が動物に生じている」とかいうことを訴えてそれらの問題を解決することを目指す運動であっても、自分たちの主張をストレートに訴えてしまうと、普段からチョコレートや畜産品を食べている多くの人々は自分が非難されているように感じてしまい、運動に対して否定的になってしまう。このことを避けるためには、個々人の消費者を糾弾しているように聞こえるような訴え方をするのではなく、チョコレートや畜産品を生産して流通させている企業や業界を非難の対象とするような訴え方をするべきであり、「企業や業界はチョコレートや畜産品の生産過程の実像や現場で生じている倫理的問題を隠すことで、消費者たちをも騙している」という点を強調して消費者の正義感を刺激したり、運動家たちは消費者の味方であると思わせたりすることが効果的である…などなど。

(太字は引用者によるもの)

 

 

davitrice.hatenadiary.jp

シジウィックは倫理学の方法を「利己主義(Egoism)」「直観主義(Intutionism)」「功利主義(Utilitarianism)」の三つに分類している。
 (中略)
「利己主義」が倫理学の理論とされているのは奇妙な感じがするが、倫理学(Ethics)の定義に道徳(morality)の有無を含めずに「個人としての人間が行うべきである行為を決定する合理的な手続き」という点のみで判断すれば、利己主義は非常に強力な理論である、とシジウィックは考えていたようだ。
(中略)
重度のアスペルガー症候群自閉症である人々は他人の感情を理解する能力(共感)や社会的な作法を理解する能力が欠如しているが、それでも彼らは道徳を理解して道徳的に行為することができること…むしろ、場合によっては過剰に道徳的(hyper-moral)になって自分や他人がルールや秩序に従うことを熱望すること…が言及されている。シジウィックは、仮定的な存在として、感情に影響されずに理性によってのみ道徳的判断を行う「合理的な存在者(ratonal beings as such)」について書いたが、ある意味ではアスペルガー症候群を持つ人々は現実における「合理的な存在者」であるかもしれないのだ(p.59-61)。
(太字は引用者によるもの)

 

 

davitrice.hatenadiary.jp

上でも挙げた記事だがもう一度挙げておく。共感するほど人は非論理的道徳判断をしてしまうという話。

ある実験では、「1人の子供の命を救うための薬を開発するのに、どれだけ募金できるか」という質問を被験者たちにして、別の被験者たちには「8人の子供の命を救うための薬を開発するのに、どれだけ募金できるか」と質問した。被験者たちが答えた募金額の平均は1人でも8人でも変わらなかった。しかし、第三のグループの被験者たちに1人の子供の名前と年齢を教えて写真を見せた上で質問をすると、募金額は跳ね上がった…顔の見えない8人の子供を救うよりも、名前や顔の見える1人の子供を救う方に、遥かに多く募金が集まったのだ。

 

 

 

davitrice.hatenadiary.jp

 自然科学の理論にも「ヨーロッパ中心主義」や「男性中心主義」を見出すポストモダニズムは、「西洋的な自然科学では物事を知るための様々な見方の一つに過ぎないし、科学にはマジョリティの権力が反映されていて少数派を抑圧する。科学ではない、新しい物事の知り方を打ち立てよう」という主張を生み出すことになる。例えば南アフリカでは進歩的な学生たちが「科学は植民地主義の産物であるから否定すべきだ」と主張して、魔術などを代替案として持ち出しているそうだ。

(太字は引用者によるもの)

なお自分は上の太字部分を初めて読んだ時大爆笑した訳だが、他の人にこの文章を見せたところ初見で大笑いする人と全く笑わない人(曰く「まあ、そういう人もいてもおかしくないんじゃないですか」)に二分されるようだ。

ある意味このブログで一番面白い文章だ。

*1:読解力不足のために意味不明な文章の例...ラディカル・デモクラシーと「ただの民主主義」

*2:超初期のみただの日記記事がある。