世の中の娯楽は2通りに分けられる。
「ストレスを溜める娯楽」と「ストレスを発散する娯楽」だ。
ストレスを溜める娯楽?こいつは何をいっているんだ?と思うかもしれない。
娯楽が少ない昭和に生きた人たちの視点からこれを説明しよう。
昭和生まれにとっては仕事はやりがいの為にやるものだった。つまり彼らにとって仕事とは、仲間と共に無理難題に見える課題を工夫と努力でこなしていくという娯楽だったのだ。
一方で、昭和の方々が口を揃えていうのは「最近の若者は酒を飲まないがそんなんで人生の何が楽しいのか」ということだ。酒を飲むことが昭和の人たちにとっては一番の娯楽なのだ。
言わんとすることはわかるだろう。自分が言う「ストレスを溜める娯楽」とは仕事のことで、「ストレスを発散する娯楽」とは酒のことだ。
仕事とは目標を設定し、そこに向かって努力して結果を掴み取るという人間的営みであり楽しいものだ。楽しい。が、ストレスが溜まる。ゆえにストレスを解消せずに——酒を飲まずに——仕事を24時間でも続けていれば鬱にでもなってしまうだろう。ストレスが溜まる娯楽はやり過ぎるとむしろ苦痛に変わる。
他方、酒を飲み続けることが出来ないのは酔いつぶれるという身体的制限や単純に金銭的制限があるからであり、精神的な理由ではない。むしろ無限に酔えるなら酔っていたいはずだ。ストレスを発散する方の娯楽はいくらでも楽しむことが出来る。但しその場合、楽しんでいるだけの人生に一抹の不安を覚えることだろう。
なお勘違いしないように言っておくが、「ストレスが溜まる娯楽」というのは普段はストレスが溜まるだけだけどもやりきればそれ以上の達成感に浸れるもの……ではなく、本当に、文字通り普段から楽しいけどストレスが溜まるもののことだ。
例えば卑近な例だが、というか今現在の話だが、自分は今このブログの記事を書いていて楽しい、楽しいが、でも休みたくなるし、なんならスプラトゥーンでもしたくなる。(てかしてた。)
対してゲームをやっているときは飽きることはあってもブログ書きたくなるなーとは思わない。
かといってゲームで遊び呆けているだけでは何か物足りなさを感じるわけで。
ストレスを溜める娯楽と発散する娯楽はそういう観点でみると、「人間的な娯楽」と「動物的な娯楽」と言えるだろうか。あるいは「義務の娯楽」と「自由の娯楽」といってもいいだろう。
ストレスとは「負荷」だ。筋肉に過剰に負荷を与えれば壊れてしまい、負荷が皆無なら衰えてしまう。人は適切な量のストレスを感じて生きていくべきなのだ。
余談だが、現代日本においてはあまり溜める娯楽は重視されていないように見える。
あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代くださいなんて本がベストセラーになったりするぐらいだ。このタイトルは「溜める娯楽」は要らないから「発散する娯楽」(をする為の金)が欲しい、と解釈できる。溜める娯楽が重視されていない証左だろう。
といってもこれは悪いことではない。というか止むを得ないことだろう。現代は昭和と違って給料が少ない。そのため人々は生きることに必死で他のことに費やす時間がない。そういう動物的な生き方しかできないのなら「人間」的な娯楽が軽視されるのは当然だろう。人は人間である以前に動物だからだ。