①比較対象がおかしい
例えばリンゴとバナナのどちらが好きか、という話ならそれは味の評価を聞いているのだろうと考えるが、仕事と私のどちらが大事かなんて言われても全く異なる概念を比較することはできない。
リンゴとバナナには「食べ物」という共通項があり、さらに小さい括りなら「果物」でもある。そして異なる要素として味や栄養価、見た目、値段などがあり、だからこそ優劣をつけられる訳だ。
「果物」という共通項があるからこそ、食後のデザートにリンゴとバナナのどっちがいいだろう、などと具体的に思考を巡らすことができる。
もしこれが「カレーとバナナのどちらが好きか」なら「そもそも食べる場面が違うのでは?」と思われることだろう。まあそれでも「食べ物」という共通項がある以上味の優劣を決めることは可能だろう。
だが、仕事と私ときたものだ。仕事と妻。どこに共通項があるのだろう。仕事には物理的な形はない為、仕事とは概念だろう。概念と物体を比べているのだ。共通項なぞない。一概には決められないとかそういう話ではなく、そもそも評価基準が存在しないのだ。
②仕事の方が大事にきまってるだろ
仕事と女性を同列に語るのは気味が悪いが無理矢理同列に解釈してみよう。
仕事も女性も人生の要素の一つである、という共通項を括りだそう。
つまり「仕事がない人生」と「その女性と出会わなかった人生」で嫌な方が大事だと解釈するわけだ。
…いや、どう考えても仕事がない人生の方が嫌だろう。
女性に恵まれなくても生きてはいけるが金はなきゃ死ぬ。それが自然の摂理。
よしんば死ななくても親や友達に一生スネをかじって生きて行くことになるだろう。
そう考えたら仕事の方が大事だ。
どう考えても仕事の方が大事って思われるのが目に見えてるのになぜこんな不利な二択を突きつけるのか。あるいは妻が居なくなったら死ぬしかないと思っているメンヘラ男性に対してなら効くのだろうが…
③そもそも仕事の方が大事だとしてなんだよ
例えば自分はゲームとアニメならゲームの方が好きだ。だからといって娯楽の時間を100%ゲームで費やすわけじゃ無い。例えばゲームとアニメが6:4で好きなら、ゲームに6割 アニメに4割ほどの配分にするだろう。
仕事の方が大事だとしてもそれはちっとも妻を見捨てる理由にはならないし、仕事と妻との用事がバッティングしても毎回仕事を優先する理由にもならない。
それ以前の話だが、「仕事と私、どっちが大事なの!」という台詞は急な仕事で約束を守れなかった時などによく使われる。しかし急な仕事というのは緊急性があるのに対して大体の場合妻との約束には 緊急性がない。どの行動を行うが考えるに当たっては重要度だけでなく緊急性も鑑みる必要があるのは言うまでもないだろう。
要するにこのセリフは単に夫に対して圧力をかける程度の意味合いしか無い。
それを承知で言ってるのであればいいが、これを言う女性が本当にそれを理解した上で言っているかというと非常に怪しい。