かの第四次世界大戦が終わり、早くも数年が経とうとしている。
戦争犯罪人の処遇も定まらず、未だ尾を引きずってはいるものの各国は徐々に戦禍から復興しつつあると言えるだろう。
お亡くなりになった方々には哀悼の意を表する。
我々はこの惨劇を体験した者の責務として、これを糧とし、後世に伝えなければならない。
無論、それに異議を挟むつもりはない。
だが、この「第四次世界大戦」という単語はいただけない。
「第四次世界大戦」という単語は新たな戦争につながりかねないからだ。
「第一次」は許す。「第二次」も良い。「第三次」は構わない。だが「第四次世界大戦」という単語を決して使ってはならない。
「要点は3つに抑えろ」とは話を組み立てる時の大原則として言われていることだがその逆だ。
人は4つ以上の要点を覚えられないように、4回以上あった出来事はさも頻繁に起こるように感じるのだ。
「第三次世界大戦」までならそれは稀代の事件として済んでしまうが
「第四次世界大戦」になるとそれは"たまに起こること"、という印象になってしまう。
もちろん、そもそも戦争は"たまに起きること"である。それどころか世界で戦争がなかった時代などここ1000年存在しない。
だが、実態がそうであろうとも我々は「戦争は結構起きることなのでまあ今後戦争が起きるのも止むなしか」などと思ってはいけない。
印象というのは実現する。「思考は現実化する」とはよく言ったもので、大小を問わず現実化してしまうものだ。
今回の例は分かりやすいだろう。
多分今後起きるであろう戦争の為に自国が軍を拡張する→他の国がそれを見て他に負けまいと軍拡する→それに対抗するように自国が軍拡する→以下ループ、という具合である。
あえて幾多も議論され対策されている例を挙げたが、これ以外でも反戦運動の衰退などの形で顕現するだろう。今は戦争直後のために反戦運動が活発になっているが、もう数十年も過ぎてしまえば印象論の方が強くなるに違いない。その時に「戦争はいくら頑張ろうが起きてしまう」などという意識では困るのだ。
もはや戦争とは「決して起こしてはならないタブー」ではなくて「起こしてはならないが、でも起こってしまうもの」になってしまったのだ。
この事態を解決しなければならない。
しかし冒頭で述べたように第四次世界大戦は語り継がれなければならず、言論統制なんかもってのほかだ。
ではどうするか。一つしかない。
「第四次世界大戦」という名称を改変するしかない。
科学や医療では長年使われて来た名称が変更されることはしばしばあるが、それと同様に名前の変更は可能のはずだ。
ありきたりだが "New World War Ⅰ"(新第一次世界大戦)という名称で良いだろう。
さもなければ第五次世界大戦の開始が数年か数十年早まるに違いない。
たかが数年の時間稼ぎにしかならないかもしれないがそれで十分だ。
むしろたかが改名でその数年が稼げるならこれほどコスパのいい戦争対策はない。
第四次世界大戦だなんて発展途上国間の戦争のような名称が廃れんことを望む。
P.S.
余談だが、実際のところ第四次世界大戦だけ改名するのは難しいだろう。
というのも第三次から20年も経たないうちに第四次世界大戦が起こったのでやや改名の説得力に欠けるのだ。
仕方ないといえば仕方ない気もするが、それならいっその事第三次も第四次もまとめて改名してしてしまえばいい。