反社会的思考のススメ

【反社会的】[形容動詞]社会の道徳や規範から大きく外れているさま。 道徳、常識、法律、そういうものを超えた考え方を勧めたい。…勧めたかった。多分2019年11月は真面目に更新できてます。ブログ名詐欺な気はしないでもない。最近は毎日更新してるから仕方ない。 ←何言ってんだこいつ。数年後に見たらむっちゃ恥ずかしいこと言ってんな

ブロガーは誰を非難しても殺せないがファンを殺ることはできる

ブロガーは人を殺せる。

 

「影響力」。他人の思考を変化させられる度合いを示すそれは容易に人を肉体的・精神的・社会的に暗殺出来る。

 

いやしくも有名なオピニオン系ブロガーは誰も彼もが人を殺してきたに違いない。

だが、実のところ彼らが殺したのは敵ではなく味方なのだ。

 

 

一人の人間に文句を言われた程度で死を選ぶ人はいないだろう。知らない人が突然目の前にやってきて「死ね!」と暴言を吐かれたところで自殺をする人なぞするだろうか。人が自殺するのはある人からやっかみを受けたからではなく、社会、即ち学級・会社・世間から認められなくなった者なのだ。

だからいくら1人のブロガーが他人を叩こうが、それに同調する「社会」が無ければ人は死なない。

fhome.hateblo.jp

逆にこのように同調する社会さえあれば人は社会的に殺せるのだが。

そして同調する社会を一人のブロガーが作り出せるとは到底思えない。

だからいくら敵の人格を否定し揚げ足を取り蔑めようが敵を自殺に追い込むことはできない。多少鬱にさせるのが精々だ。

 

初めから他の人に同調した意見を言うことで殺すための社会を形成することはできる。

だが、それは「社会が殺した」のであって「誰かが殺した」のではない。別にそのブロガーが居なくても他の人で社会を形成した可能性が高い。元から死ぬと決まっている人を殺そうがそれは「人を殺せる影響力」ではない。1.00人を殺したのではなく0.01人を殺した程度の話であり、それでは人殺しとは呼べないだろう。いじめを放置して安寧な生活を送る生徒が罪に問われないのと同じだ。

 

 

上では意見の攻撃対象の意で「敵」という単語を使ったが、敵さえ殺せないのだからアンチを殺せるわけがない。

アンチはブロガーを否定するために生きているのであってブロガーの言う事に一喜一憂しているのではない。凹んだり鬱になったりはしないのだ。本当に意見が気に入らないならブロックすればいい話で、それをせずに文句を言ってるのは自ら不快感より好奇心を優先した自己責任と言う他ない。

 

 

じゃあブロガーが殺せるのは誰か、といえばそれは信頼してくれるファンの皆さんだ。

よく考えれば当たり前の話で、ブロガーが誰の人生を操作しやすいかってファンの人に決まっている。

自分の言うことを信じてくれる人を罪に問われない範疇で殺すのは難しくはない。

最も短絡的に物理的に殺すのなら反医療主義であったり「※素人は真似しないでください」みたいなことをすれば馬鹿が勝手に参考にして死んでくれるだろう。

社会的に殺すなら「ブロガーにならない奴はアホでしょ」とか煽って修羅の道に進ませればいい。

きっと「ありがとうございます!」とか言ってくれるだろうぜ。