法律を守ってるなら何をやってもいいのか、とよく言われるが
別に何をやってもいいに決まってるだろ。
そもそも 法律=ルール の存在意義は何だ。
それを考えるため、ルールの運用方法を考えよう。
ルールの運用方法としては4通り考えられる。
(以下の表では 行ってよいこと=◯ 行ってはいけないこと=× )
①ルールを守ってるなら何をやってもいい
① | 良い事 | 悪い事 |
ルールを守る | ◯ | ◯ |
ルールを破る | ◯ | × |
②ルールを破る行為は絶対にしてはいけない
② | 良い事 | 悪い事 |
ルールを守る | ◯ | × |
ルールを破る |
× |
× |
③ルールを守ってるなら何をやってもよく、ルールを破る行為は絶対にしてはいけない
③ | 良い事 | 悪い事 |
ルールを守る | ◯ |
◯ |
ルールを破る | × | × |
④ルールに関係なく善悪で決まる
④ | 良い事 | 悪い事 |
ルールを守る | ◯ |
× |
ルールを破る | ◯ | × |
現代の日本の法律は③だ、と言いたくなるが 「行為」「構成要件該当性」「違法性」「有責性」の内の「違法性」(一般的慣習の範囲内の行動はある程度認められる)や、推定無罪のシステム(ルールを守っている可能性が有れば罪に問わない)を考えれば、①と③の中間が現在の日本や先進国に近いと言えるはずだ。
現行法 | 良い事 | 悪い事 |
ルールを守る | ◯ | ◯ |
ルールを破る |
△ |
× |
便宜上、「法律を守ってるからといって何をやってもいい訳じゃない」という意見を採用したものを「改善法」と呼ぼう。
といっても法律の文章内に「法律を守ってるからといって何をやってもいい訳じゃない」と書いても仕方ないので私刑を認めない憲法を改正したものとするしかない。
ルールに従って罰せない以上は私刑をするか罪状を決めずに裁判するかだ。罪状を決めずに裁判するのは国が誰でも逮捕できることになるので論外だろう。
まあ最近はネットやマスコミによるリンチもあって私刑があるようなものだし。
改善法 | 良い事 | 悪い事 |
ルールを守る | ◯ | × |
ルールを破る |
△ |
× |
まずは一般論から話そう。現行法の根拠は以下の通りだ。
行っても罪に問われない行為が明確に分かるので、ルールの範囲内での自由が担保される。たとえ文化や環境が違って右も左も分からないような人でも明文法さえ守っていれば法に問われることはなく、私的に罰せられることもない。犯罪以外なら何をしてもよい、という自由主義の基本だ。(罪刑法定主義)
以上が現状①に近いものが採用されている理由だ。
この罪刑法定主義が認められる以前は権力者が個人の好き嫌いに基づいて逮捕するなどした…らしいが調べても具体例がなかなか出てこない。
…えー、納得して頂けただろうか。そうは思わない。
別に黒に限りなく近いグレーの犯罪をする自由なんて認めなくていい、と思うのだろう。それが改善法だ。
なるほど確かに、悪人を裁くためにはそれが一番いいのかもしれない。
ここで初めの問いに答えよう。法律の存在意義は何か、という問いだ。
その答えは「社会を豊かにすること」だ。
……
ありきたりな答えに見えた人は何も理解していない。
「悪人を罰することが法律の存在意義ではない」
と言いたいのだ。
何か悪いことをした人を罰したいだけならば、電車の中で通話をしたものは死刑にすると刑法に書けばいいのだ。何かマナー違反だろうがとにかく迷惑な行為全て罰してしまえばいいのだ。どんな罪を犯そうが死刑でよいのだ。
そうなっていないのは、それをしたら無駄に人が死んで社会が貧しくなるから。
逆に言えば、全ての法律はメリットの方が大きいから制定されているのであり、マナーが法に制定されていないのは一律に罰してもデメリットの方が大きいからだ。
極端な話、なぜ「人を殺してはならない」という法律があるかといえば、善意で殺す人より悪意で殺す人の方が多いからだ。もしほぼ全ての人間が客観的に社会に良い影響がある状況でしか殺さないというのならば、「人を殺してはいけない」は法律ではなくマナーになる。
実際——ほとんどの人がそんな情けないことをしないというだけの理由で——「食い逃げは無罪」なのだ。
…ここまで言っても「法律を守ってるからといって何してもいいとは限らない」と思っている人にいいことを教えよう。
憲法に「私刑を行ってはならない」と書いてある。
さて、なぜ「人を殺してはならない」という法律があるかといえば、善意で殺す人より悪意で殺す人の方が多いからだった。
つまりはそういうことだ。
そもそも、私刑で「真の悪事 」を裁けるのなら法律も裁判はいらない。全ての悪事だけ私刑して善行を放置すりゃいいんだから。
え? 裁判で明らかな悪事を裁いて私刑で善悪が微妙な行為を裁く?
全部裁判でやった方が正確に決まってるだろ。
私刑なんて1人の悪人を裁くために10人の善人を犠牲にする方法を誰が使う?
私刑をさせないために法律があるようなものなのに。
——「法律を守ってるなら何をやってもいい」という人のために法律があるのに。
法律は善意を縛る。法律は感情ではなく文章だから善意という好感情を裏切ることもある。だがそれ以上に悪意をも縛る。だから法律がある。
賭博罪がなぜ犯罪かってトラブルを招くからだよ。賭博は誰にも迷惑をかけないし論理的に禁止する意味はない。だが、人間は論理的でない。感情的な生き物だ。だから縛る。
法律とは全員が守ったら得をする文のことで、
マナーは全員が守ったら損をする文のことなのだ。
「法律を守ってるからといって」派は、法律は守るべきだがマナーも守るべきだと主張するのだろう。
だがそれは根本的な誤りだ。マナーは守りたい人だけが守るべきものだ。全員が自主的に守るというのならともかく、他人に強制されないために成文にしていないのだから守りたく無い人は守るべきでは無い。
マナーは必ず全員が守るものだと主張する人は、どうやら人は他人に迷惑を掛けずに生きていけるものだと思い込んでいるようだ。
迷惑をかけていいラインの上にマナーがあり、かけてはいけないライン上に法律があるということを覚えておくべきだろう。
続編
「善意の犯罪」の例
私刑が許容される世界とは