みなさんこんにちは。大弟と申します。
最近になってようやく「毎日ブログを書く」という習慣を付けることに成功しそうです。
まだ1週間しか続いてないので今後も続くかは怪しいですが、なんとか有意義な日常という奴を手に入れられそうです。
「今年何やってた〜?」と聞かれても「自分は呼吸してたわ〜」としか答えられないのは2018年で最後にしてやる…絶対にな…
あ、この記事はこういうノリで行くのでよろしくお願いします。
その日の気分と内容の反社会的度合いによって文体がめっちゃ変わる男、大弟です。よろしく。
なお文体が変わっても語彙力は高く無い模様。「そもそも」とか「論外」とか「言うまでもなく」とか使い過ぎ。
使ってもいいけどもっとレベルの高い単語と組み合わせてえ…「浅慮」とか「代替案」とか「担保」とか。
まあこの辺りは実戦で身につけるしか無いんだけど…てかよくよく見たら性格が違うだけで文体はだいぶ同じじゃね?
まあこの記事を書いてるのは自分に「毎日ブログを書く」と言う縛りを課しながらも、こんな(↓)厄介な内容の記事書こうと理屈捏ね回してたら*1徹夜しちゃって今日分の記事書く時間がなくなったからなんですが、ええ。
起きたら午後5時ってなんだよ…まともにブログかける時間が1時間しか無いぞ…となったのでしゃーなくこれから適当な内容の記事を書こうとしているのです。
で、えーと何書こうか。
あー。
そうそう。
上の記事書いてて思ったんですが、ブログ中に注釈をつけると雰囲気が削がれるなーと思ったんですね。
読んでもらえばわかると思いますが、なんというか読者に対して上から目線で説得する感じの記事なんで、文章に熱中させたいんです。
注釈を付けるとわざわざクリックして戻る手間がある分面倒になる。
パソコンならカーソルを合わせるだけで内容が表示される*2けどスマホはそうは行かないわざわざ踏んで戻る必要がある。*3
さらにいうなら記事を読んでる最中にリンクも踏ませたく無い。
この記事を見て欲しい。見ての通り——(以下略)
というように誘導するのならともかく、
——という人もいる。(参考リンク)
というのだと興が削がれる気がする。というか雰囲気崩壊?この記事なら全く問題けど例の記事みたいな雰囲気だとなんかなーという言語化出来ない想いだけが残る。
かと言って
とするのも…いや、先程のより悪くは無いけど…そもそもリンクを踏ませるのが嫌だ。こういうリンクを踏む人がどれ程いるのか。少ないなら見たい人だけ見るからありか。多いなら避けたいが。
実際には件の記事ではぶっきらぼうな言い方になる後半にはリンク・注釈を用意せず、参考になるリンクは記事の一番最後にただ並べるだけという方法をとった。(改稿していて現状と噛み合わない文章になっている可能性あり、注意)
文章に読者を没入させたい場合は注釈やリンクをつけるべきでは無いだろう。ネット上の小説に注釈やリンクを踏ませようとするものはほぼ無いだろう。それと同じだ。
あれ?後半からですます調が抜けてね?まあ1,500字行ったからもういいや。
——記事を書き終えた後の一言