功利主義・平均効用説・総量説などの単語の意味が分からない方や時間的余裕のある方は前回の記事から読むことを推奨↓
道徳を考えるにおいて動物をどう扱うかというのは重要な問題である。
上の記事が専門的かつ分かりやすい。
人間は道徳的に尊重されるが、動物は尊重されないのならその理由を示す必要がある。
何故ならば「人間は人間だからという理由で尊重される」という意見は「白人は白人だからという理由で尊重される」というのと論理的差異がないからだ。
…というのが上の記事の主要な要旨である。
そのため道徳的規範は動物をどう扱うかを決められるようなものでなければならない。
功利主義の総量説では「動物を不幸にすべきではない」という風に決められる。(なお、これは効用に負の値を認めることを前提としている。)
よって総量説は「人間の効用の合計を最大化すべき」から「人間を含む動物の効用の合計を最大化すべき」に拡張できる。
また、植物や無機物は痛みを感じないので効用は0であるとすれば全ての「モノ」への拡張も自然にできる。「全ての『モノ』の効用の合計を最大化すべき」である。
しかし、平均効用説は動物に拡張しにくい。
人間だけを考えるならば「人間の効用の平均を最大化する」を目標とすればよい。
しかしこれを単純に拡張すると「動物の効用の平均を最大化する」となる。これでは不自然さが分かりにくいのでさらに全てのモノに拡張すると、「全てのモノの効用の平均を最大化すべき」になる。…明らかに無機物に効用は存在しない。となると無機物は効用の平均を下げるので存在すべきでないということになってしまう。
これは無機物と人間を平等に扱ってしまったが為に起こったことである。
これを解消するため「複雑さ」という概念を導入する。
そして平均効用説の目標を「全てのモノの効用を複雑さで重み付けした平均を最大化すべき」とするのだ。
ただの無機物は複雑さがほぼ0、植物の複雑さは低い、動物の複雑さは中程度、人間の複雑さは高い…とすれば自然な拡張になる。
…「恣意的にもほどがある」という声が聞こえてきそうだが、実はこの「複雑さ」はいくつかの不自然な点を解消でき、また優秀な点が存在する。
・「複雑さ」の設定によっては総量説とほぼ同値になる
まだ生まれていない生物を含め、全てのモノの複雑さを等しいとすれば総量説とほぼ同じ結論が得られる。
「ほぼ」と書いたのは人間の行動によって「まだ生まれていない生物」の量が変わるからであるが、モノの数が膨大な為ほとんど無視できる。
なお、人間に比べて動物の複雑さを大幅に低くすれば動物は尊重に値しないという意見になるし、同等とすれば尊重に値するとなる。この柔軟性はこの理論の最大の長所でありながら最大の短所だろう。
・命の数を数えずに済む
結合双生児は一体何人と数えればいいのだろうか。選挙権をいくつ与えるべきだろうか。あるいは、ボルボックスのように命がいくつあるか数えられないような人間が出てくるかもしれない。社会は生き物だ、などと比喩的に言われるが、社会も広義の意味では命と言えるかもしれない。
つまり「命を数える」ということが本当に可能かというと甚だ疑問なのだ。
命を平等に扱うにあたっては命を数えることが必要不可欠だが、全ての命を、ここまでで一つの命だ、と区分できるかは怪しい。
「一人は一体としか数えない」という平等主義は功利主義の基本だが、じゃあその「一人」はどうやって決めるんだ、となるわけだ。
複雑さを導入することによってこの基準を定められるのは大きい。これを使えばあなたは1.05人ですがそこの動物は0.1人分ですよ、と定量的に決めてしまえる。
ただ当然、「複雑さ」をどうやって決めるのかという話になってしまう。自分がこれを「複雑さ」と名付けているだけで、人によってこの値をどう振り分けるかの意見は全く違ってくるだろう。しかし複雑さという概念を認めれば、どの肉の塊にどれほどの価値があるかを同定する為に必要な「命を数える」という不自然な行為を理論上しなくてもよくなる。
…つまり自分が何を主張しているのかというと、人間が平等であるというのは不自然だということだ。
もちろん黒人だから、同性愛者だから、女だから、という理由で不平等なのは不自然だが、だからといって全ての人間を無条件で平等とするのも同じぐらい不自然だ。
同様に動物も植物も無機物の不平等であるべきだ、という考えから自分は「複雑さ」の概念を生み出したのだ。
・無機物を尊重する意味がないことをより簡潔に示せる
これまで無機物が尊重されないのは幸福を感じないからだとされて来たが、複雑さを導入するなら複雑さが低いから尊重されないの一言で済むようになる。無機物は単純な物体なので尊重されず、それらが組み合わさり複雑になるほど尊重されるようになる、という考えはそれほど不自然ではない。(反面人間より複雑で賢い生命が生まれたらそちらの方が尊重されるべきという結論にはなってしまうが。)
・人間と同等の知能を持ったロボットに人権はあるのかを解決できるかも
これまで無機物は尊重されないと言ってきましたがそれは自然物の話だ。人間の英知の結晶を注ぎ込んだロボットやAIなら尊重に値するかもしれない。そのようなロボットはいまだ存在しないが、その構造と他を比較することによって、そのロボットは尊重に値するかを感情論以外で語ることができる。場合によってはシステムXで作ったAIには人権を認めるけどシステムYで作ったAIには人権を認めないということになるかも知れない。