先日、「ベジタリアンに『植物だって命だろ。お前は命に順番をつけるのかよ。神にでもなったつもりか』と言ってやった」というような内容のツイートがバズっているのを見た。*1
はっきり言って意味がわからない。
具体的に言えばベジタリアンに「植物だって命だ」と言って論破できている気になっているのが正気の沙汰では無い。
まず「植物も命だ平等に扱え」と言っている奴は植物に命感じてるのかよ。
確かにベジタリアンは動物に命を感じて植物に命を感じないかもしれないがそいつは動物にも植物にも命を感じてないだろ。
いやまあ食事の時にいただきますぐらい言うかもしれないが、それは通過儀礼のようなものであって別にほとんどの人は命を食べることに毎回感謝するようなことはしない。
それともあれか。動物にも植物にも価値を感じてないから俺は平等だぜって言いたいのか。確かに平等だな。…黒人も白人も差別するから平等だろみたいな意見だがいいのかそれで。
本来この反論の方法は「お前が言うな論法」であり、意見に対してなんの反論にもならないものだ。だが今回の場合は意見のぶつかり合いではなく立場のぶつかり合いであるので相手の立場を貶める「お前が言うな論法」は十全に働くのだ。
今回の場合、命に毎回感謝していない雑食主義者は菜食主義者以下の立場であるとブーメランが帰ってきたわけだ。
と言ってもこれは彼らに「いやちゃんと感謝してるし」と言われたら終わる話なので完全な反論にはならない。…まあ明らかに命に感謝してないだろって人もいるけど。
だが彼らの致命的過ちは動物の命と植物の命が平等なら植物を食べるべきと言う結論になることに気づいていないことだ。
仮に肉100gと草100gが同じ命の価値だとしよう。もちろんグラム単位で命を測るべきではないが簡略化のためだ。
…この時、肉100gと草100gは同じ価値にならない。
意味が分からないと思うがよく考えれば当たり前の話だ。なぜなら牛や豚を育てるには草を消費しなければならないからだ。軽く計算して調べたところ牛の肉100gに対し草1750gを消費する必要がある。*2
つまり肉100gで消費する命の価値は肉100gと草1750gの合計の命の価値になる。
肉100g+草1750g と 草100g 、どちらの方が命を消費するだろうか。
言うまでもなく前者だ。それも植物に命の価値があるか無いかに関わらずである。
植物と動物の命の価値が平等なら 1850g vs 100g 。植物の命の価値がないなら 100g vs 0g である。
おわかりいただけだだろうか。
つまり雑食主義者は植物に命の価値なんかないと主張すべきなのである。
その方が自分の立場が有利になるのだ。1850 vs 100ならどうしようもないが 100 vs 0 ならまだ栄養面など別ベクトルのメリットを提示することで話を平行線に持っていけるのである。それなのにベジタリアンに「植物だって命だ」と言って論破できている気になっているのは正気の沙汰では無い。論破されているのはお前だ。なんで弱点で戦って勝った気でいるんだ勝利宣言しているんだお前は。マジでなんなんだ。こいつら。
…なお植物に命の価値が存在しないとする方法はすでにある。ペーター・シンガー氏が提唱している方法で、「命に配慮すべきかそうでないかの差は痛みを感じるかどうかだ」と言う主張である。菌類や微生物に配慮しないのに動物に配慮する理由を合理的に説明できるため有力な方法だ。この方法で言えば植物の命に配慮する必要は無くなる。事実上植物に命の価値は存在しないとできる。
*1:どのツイートか分かる方は「あのツイートはそういう意図じゃない」と言いたいと思いますがどのツイートとは言ってないので許してください
*2:参考にしたURL
牛や豚の体重って?一頭からどれ位の肉がとれるの?
http://www.pref.nagasaki.jp/bunrui/anzen-anshin/shokunoanzen-anshin/oniku/mame/38213.html
10.草うしの生態について基本的な話
http://kusaushi.com/story/10/03.html
牛一頭で牧草を3500kg食い、それが200kgの肉になると仮定して計算した
…思ったより少ないな 肉100gにつき草10000gとか行くと思ってたわ
*3:(今回の記事は某氏を参考に結構無理やり感情的になって口語調で書いてみた。が正直まだ言葉使いを乱暴にできそうな余地が見える。あと書いてて疲れる。文章を思いつくのは簡単になったが書いてて疲れる文章ってのはどうなんだ。まあもう少しこの口調で文章を書いて見ないと分からないかと言う印象。他の人を見ていると数千字の記事を作るのに30分で書いてたりして尊敬する。この記事書くのに調べる時間を覗いても180分かかってるからな)