道具にはリスクとリターンというものがある。つまり正の側面と負の側面のことだ。
例えば車のリターンはその運送力であり、リスクは事故である。
ここで重要なのは「リターンは車を使う人しか享受できないがリスクは全員で背負わされている」ことだ。車を使わなくとも轢かれる可能性はある。これを防ぐには外出しないという非現実解しか存在しない。
何か便利な道具が発明されるとそれが世界中に伝播し、それが当然の社会となり、強制的に全人類でそのリスクを背負わされる。車を使わなくとも轢かれることはあるし、インターネットを使わなくとも(知人から)個人情報は漏れるし銀行を使わされて通帳を落とすこともある。
特にそれが顕著なのが武力だ。
戦争において守る側が有利だったのは歩兵がメインだった昔の話であり、範囲爆撃ができる現代戦においては攻める方が有利に決まっている。原爆を落とすのとそれを防ぐのとでどちらが楽かなんて言うまでもない。
それ以前の話、今は原爆の威力は精々国一つ落とせる程度で済んでいるから「核の抑止力」などと悠長なことを言ってられるのであって、爆弾一個で(自分の国以外の)全ての国を滅ぼせるまでになってしまっては抑止の仕様がない。国どころか個人で世界を滅ぼせる。
そして問題なのは世界を滅ぼすことはできても滅ぼさせないことできないということだ。国をバリアで覆って鎖国するような技術より爆弾で世界を滅ぼせるようになる方が早い。そもそもなぜに核とかいう他人が勝手に作ったものの脅威に晒されなければならないのか理解に苦しむ。さらにそもそもだが核爆弾のリスクはともかくリターンって何?
上記に限らないが、保守派より革新派、受動的より能動的が強い世の中になってしまった、ということだ。何かをしようとする側と何かをさせまいとする側が争うと前者が勝ってしまう。炎上騒ぎとか。
H×H(ハンターハンター)には「リスキーダイス」というアイテムがある。これは20面ダイスで、1〜19の目が出れば幸運が訪れるが20の目が出るとそれまでの幸運を台無しにする程の不幸が訪れるというものだ。例えるなら1900年以前はこれを100年に一回振る程度で済んでいたのに2000年までは10年に一回、今では2年に一回振っているようなものだ。科学の発展スピードがインフレしすぎて2年に一回産業革命が起きているような状態だ。その反動として戦争か経済危機か、はたまたAIが人類を滅ぼすSFシナリオは分からないが世界が滅ぶに値する何かが起きる可能性も高くなる。
科学の発展を止めればこのような事態は防げる。しかしそれは不可能だ。科学の発展を止めるというのは発展を止めるということだ。国を挙げて科学を止めればその国はたちまち弱小国に成り下がる。
仮に全ての国が科学を止めてもいつか突然どこかの国が手のひらを返すだろう。なぜなら科学は他に先行することで意味を持つ。そのため他が科学しなくなるほど自分は科学した方が良くなるからだ。
リスクを背負わないことがリスク、というセリフがあるがこれは正しい。正しいが、これが正しい世界は間違っている。
この世界はチキンレースだ。どこが崖かも分からず、必ず誰かが落ちて死ぬことが分かっているチキンレース。そして誰かが死ねば他全員も死ぬらしい。どうせ死ぬなら前に出て死にたいと急ぐ。急げば急ぐほど死期が早まると分かっていてもだ。