反社会的思考のススメ

【反社会的】[形容動詞]社会の道徳や規範から大きく外れているさま。 道徳、常識、法律、そういうものを超えた考え方を勧めたい。…勧めたかった。多分2019年2,3月はオンラインスロットのことばっかりやりそう。

選挙に参加しない奴は政治を批判する権利が無いって本気で言ってる?

「選挙に参加しない奴は政治を批判する権利が無い」と世間ではよく言われる。

それを口にする人がこぞって言うのは次のような理屈だ。

「政治に文句を言う前に、政治に関与する権利があるのだからそれを行使すべき」

だがこれは全く正しくない。 

 

 

〈政治に文句を言う前に政治に関与する権利があるのだからそれを行使すべき〉

「政治に文句を言う前に政治に関与する権利があるのだからそれを行使すべき」というのはつまり「文句を言わずに済んだかもしれないのに自分の事を棚に上げるな」と言う論理だが、それは何処かの政党が与党になれば文句が無いということを前提としている。政治がどうなろうが文句を言うのならば、選挙権をどう行使しようが文句があるのだから放棄しても問題は無い。*1

ベストよりベター*2、とも言うがそれは「選挙権は行使すべき」と言う意味にしかならず「選挙権を行使しない人は文句を言ってはいけない」という意味には取れない。選挙権とは文句を言わずに済む権利のことではない以上は当然だ。

 

分かりやすくするために極端な例を考えるなら、候補者全員が全く同じ程度の魅力の政策だった時の事を考えればよい。ハンバーグとカレー、どちらが好きか、みたいな話だ。どの党、どの候補者が当選しても等しく魅力がある(し、等しく文句も言いたい)のだから誰が当選しても問題ない。だからこの時は投票する意味が全く無くなる。
(まさかとは思うが組織票対策のために投票すべきなどとは思った人はいないだろうか。この場合組織票を薄める意味が全く無い。仮に投票するにしてもランダムに選ぶことになるので組織票をお手伝いすることになるかもしれない。なおここでは自分の世代の投票率を高めるために投票するという利己的な考えは無視する。)
この場合は無投票でも全く問題無く、かつ誰が当選しても等しい量の文句を言うだろう。
投票してもしなくてもどうせ同じだけ文句があるのだからこれは問題無い。

 

つまりこう言う事だ。

確かに「投票しなかったくせに自分の気に入らない政党が勝ってしまったので声高々に文句を言う」のはおかしいが「投票しなかったけど自分の気に入ってる政党が勝った。けど多少文句を言う」のは結構なことだろう。これを延長していけば「投票しなかったくせに自分の気に入らない政党が勝ってしまったので多少文句を言う」のも認められる。

裏を返せばどの政党に対しても激しく非難するような人は無投票でも政治を激しく批判する権利がある。残念なことではあるが論理的に考えた結果なので仕方がない。

 

権利の上に眠る者は保護に値せずという言葉を持ち出す方もいるだろうがそれは時効の法諺。選挙日過ぎて投票させろと言ってるアホ*3に使うならともかく、選挙権を放棄したけど言論の自由を放棄していないだけの人間に使ってよい言葉では無い。

また、時たま「投票しないのは現状追認と同じ」と言いながら「選挙に参加しない奴は政治を批判する権利が無い」という人が見受けられる。現状を追認してたら文句を言えない=与党に投票してたら政治に文句を言えない と言う事になるのだが…。

 

そもそも当然だが、政治に参加する方法は投票することだけでは無い。選挙に参加しないと言うのはただ単に特定の手段での政治的貢献をしなかったというだけに過ぎず、件の意見は「寄付をしない奴は善人じゃない」*4と言うのと同じだ。無投票というのは何もしていないだけなのだから中立だ。じゃあ悪とは何かと言えば、利己的に投票する人間が悪だ。利他的に投票する人間が善だ。だから無投票は中立だ。この構図に気付いた上で無投票を非難している人がどれだけいるのだろうか。

 

(やや難癖を付けるようなので小文字で書くが、投票しないのも意思表示の一つと考えることもできる。
「投票しないことで応援したい政党が無いと主張している」と言う人もいるがそれは無理がある。どんな理由で投票しなかったかは分からないからだ。白票を出すのも「無効票」の一括りにされ本当の無効票と区別がつかないので効果は薄い。
よってどの政党も支持したくないとかの理由をもって投票しないのが意思表示だと言う主張には難がある。
では無投票によってどんな意思表示ができるかと言うと「自分の世代を優遇する必要はない」という意思である。
投票しないと君の世代が優遇されないぞ!とよく言われるが逆に「自分の世代を冷遇すべき」という主張なら無投票が正しく意思表示できてしまう。特に高齢者なら十分にあり得る話だ。

これなら無投票でも政治参加が出来ていることになる。
…が、この理由で無投票している人が実際に1人でも居るかといえば…怪しいものだ。
論理展開には穴は無いので一応書かせてもらった。)

 

 

 

〈選挙権を行使しない人が政治を批判するのは社会悪だ〉

 

無論、ここで言ったのは「政治に文句を言う前に、政治に関与する権利があるのだからそれを行使すべき」という論理の破綻であって「選挙権を行使しない人が政治を批判するのは社会悪だ」という意見の否定ではない。

以降、この意見を否定していこう。 

 

「選挙権を行使しない人が政治を批判するのは社会悪だ」とする意見には厳密には2通りある。

「『選挙権を行使しない人が政治を批判するな』と言う主張をすることが善である。」という考え方と「選挙権を行使しない人が政治を批判することそのものが社会悪だ」という考え方である。

 

 

前者は「選挙権を行使しない人が政治を批判するな」と主張することで、政治を批判している人たちに対して選挙に行けと働きかけるのが目的だ。つまり国民に対して政治的知識をつけろと啓発することが目的であり、主張している内容そのものは全くどうでもいいのだ。ただ単に「もっと政治に詳しくなれ」と言うのと比べると、もっと具体的に説得力を以って働きかけることが出来る。だからそう主張しているだけだ。

つまるところこれは意見というよりレトリックの一種であり、中身を取り出せば「政治にもっと詳しくなれ」という当たり前のことしか言っていない。よってこの考え方は否定する意味が無い。

この記事のタイトルは「選挙に参加しない奴は政治を批判する権利が無いって本気で言ってる?」であるが、「いや、本気では言って無いけど」と言われたら「そうですか」と答える他ない。

 

 

後者、「選挙権を行使しない人が政治を批判するのは社会悪だ」と本気で思っている方を否定していく。

この方は「選挙権を行使しない人」が「政治を批判するほど社会が悪化するタイプの人」に分類されると思っている。ではどのタイプに分類されるのだろうか。

 

「利己的な人」というのは考えられる。利己的な人は選挙権を行使しなくてもおかしくないし、政治を批判すればそちらに政策が引っ張られておかしな政治になってしまうかもしれない。

だがこれは論外だ。利己的な人が非難に煽られて止む無く投票することになった時のことを考えてみよう。当たり前の話だが利己的な人に選挙権を行使させたら利己的に投票するに決まっている。*5わざわざ選挙を国民に不利になるようにする意味がない。

 

「政治的知識・関心がない人」というのが本命だろう。そういう人は選挙権を行使しなそうだし、(適当ではなく)テキトーな批判で政治が良くなるはずもない。

確かにテキトーな批判で政治が良くなるはずが無いというのは満場一致だろう。無根拠な意見が通用するのは井戸端会議までだ。

だが、政治的知識・関心がない人は本当に選挙権を行使しないだろうか。まして政治的知識・関心がある人は本当に選挙権を行使しているだろうか。

 

 

政治的知識・関心がないが選挙権を行使する例を挙げよう。

日本の選挙事情を語るに置いて外せないのが創価学会の存在だ。700万人を抱える宗教法人であり信者に対し公明党への投票を指示する自他共に認める日本最大の組織票だ。*6もちろん組織票だから悪であるといったような意味不明な意見を言いたいのでは無い。そうではなく、選挙に行く700万人の信者は政治的知識・関心を持っているだろうか、と言いたいのだ。他人に選択肢を決めてもらえるというのは気楽で責任を負わなくて良いものだが、彼らはそれにかまけてはいないだろうか。いや、それどころか彼らは政治的な選択肢を他人に決めてもらえるために政治的知識を得る意味も動機も無いのではないだろうか。

 

政治的知識・関心があるが選挙権を行使していない例も挙げよう。

「間違った投票をしたくない」(外部リンク)という人が居る。彼ら投票したいとは思っているが、己の拙い知識(無論へりくだって言っている)による投票で世間に悪影響を及ぼすことを避けている。この考え方は合理的だし、実際現実での選択でも「現状でも悪くは無いから無理に改善しようとして悪化させることは無いだろう」というのは良くある。政治に詳しい人の間でも特定の政策に対する意見は二分されるのだから矮小な知識での判断には全く意味がないとも言える。この辺りは民主主義の特徴がよく出ていると言える。本当はエリートだけ(さらに言うなら有能な独裁者だけ)が主権を持ったほうが平均的には良い政治になりやすいのだが、選民思想や民衆視点の欠如などによって一時的にひどい政治にもなりやすい。それゆえ「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが by チャーチル」=「民主主義は最悪を避ける政治形態だ」と言われる。なお現状維持というならば(選挙直前での)与党に投票すべきだ、という意見も出るだろうがそこは「現状」の解釈の違いによるものなのでどちらもありだ。

 

  選挙に行かないから政治に興味関心がないという訳でもなく、選挙に行ったから政治に詳しいという訳でもないのであれば、この言説の意味は薄い。もちろん選挙に行かない人の方が政治に詳しくない、という傾向はあるだろうが区別に値するようなものではない。*7例えて言うなら、ある男女が居たとして女の方が長生きするだろうとか男の方が犯罪者になりやすいとかそう言う話だ。統計上意味のある差だとしても実際の扱いに差を付ける意味は無い。

 

 〈結論〉

 

初めて「選挙に参加しない奴は政治を批判する権利が無い」と言った人がどういう意図で言ったかは定かでは無いが、 結局それは啓発の意味しか無く「選挙権を行使しない人が政治を批判することそのものが社会悪だ」という意見は根拠が弱い。もちろん啓発としては十分に成果を挙げていると思うのでこれを言い続けることに反対はしない。だが選挙に参加せず政治を批判する人が選挙に参加しようが政治を批判しなくなろうがそれほど影響は無いだろう、というのは念頭におくべきだ。*8

ただ、政治的知識・関心がない人は政治を批判するなと言いたい人は大勢いるだろう。そういう人の為の言葉を用意した。インパクトの面でも申し分無いから啓発も兼ねられるかもしれない。つまり初めからこう言ってしまえばいいのだ。

「バカは政治に文句言うな」

と。

 

 

 

 

 

 

 

 追記:

「先人が勝ち得た普通選挙権なのだからそれを行使しないのは先人に対する侮辱だ。」と言う意見を見かけた。政治を批判する権利とは関係無いが敢えて答える。

…どこから突っ込めばいいか分からない。先人が勝ち得たからといってそれが必要とは限らないし、努力して得たものだからそれだけの重みがあるべきってのは典型的な公正世界誤謬だ。「侮辱」とかの訳の分からん単語で意見を語るな。

*1:わかりにくいので追記:例えば10万円のネックレス欲しいなあって人に対しては貯金出来ないお前が原因だ、と言えるけど1億円のマンションが欲しいって人にお前が貯金しないのが悪いってのはおかしい。そういう話。

*2:最善の選択肢が選べなくてもよりよい選択肢を選ぶべき、の意 ここでは、文句のない政党が無くても文句の少ない政党を選ぶべき、という意味

*3:EU離脱選挙でそんな人が実際居たらしいとは聞くが

*4:「震災に寄付してアフリカに寄付しないのは偽善」とか「悪行を一つでも積んだ奴は善人じゃ無い」の方が正しいか

*5:これは記事を書いている最中に思いついたことだが、利己的な投票によって選挙が利他的な方向に動く可能性はある。組織票や情報操作との噛み合いによってはあり得るだろうが…。ここは十分考察の余地があるだろうがそこまで考察してるときりが無いのでこの可能性は本記事中では無視する。

*6:公式での会員数は当てにできない(数えられるはずは無い)が選挙での票数は2018年では700万票ほどらしいので700万人ということにしておく。この宗教は親から子に伝わるらしいので実際はもっと多いだろうが

*7:この辺り、どれほどの傾向か具体的なデータを出せないのは惜しいのだが調べてもデータが扱いにくかったり若者に限定して話を進めてたり微妙なのしか出てこない。というか 選挙に参加しない≒若者≒政治に興味関心が無かったり政治不信 という傾向があるため、なんらかの統計があってもそれが年齢による相関なのか政治に対する姿勢の相関なのかが区別出来ない…。極論、「選挙に参加しない奴は政治を批判する権利が無い」より「若者は政治を批判する権利が無い」の方が正しいとなりかねない。いいデータがあったら教えて欲しい。といってもよほど都合の悪い結果でなければ結論は何も変わらないが。

*8:「投票率が上がるなら影響はあるだろう」とかは「啓発」に含まれる点に注意