反社会的思考のススメ

【反社会的】[形容動詞]社会の道徳や規範から大きく外れているさま。 道徳、常識、法律、そういうものを超えた考え方を勧めたい。…勧めたかった。多分2019年11月は真面目に更新できてます。ブログ名詐欺な気はしないでもない。最近は毎日更新してるから仕方ない。 ←何言ってんだこいつ。数年後に見たらむっちゃ恥ずかしいこと言ってんな

どんなゲームでも勝率の低い択を選ぶべき理由。

ゲーム、というかスポーツや人生にも当てはまることなのだが、選択肢を選ぶときにその勝負で勝率の高くなる択を選びがちである

「じゃあわざと負けやすい選択肢を選べってのか!」と思われそうだがそうではない。

冷静になって考えてみて欲しい。

勝率の高くなる択を取る、というのは「勝ちたい」という欲求からくるものだ。

だが、「勝ちたい」と「強くなりたい」は厳密には別のものだ。

勝ったら強くなるわけではないが、強くなれば勝てる。

つまり真に勝ちたいのであれば「強くなりたい」と思うべきなのだ。

 

大会の決勝戦であれば話は別だが実際のところほとんどの試合は重要なものではない。

「勝ち」を目指すのではなく、「勝率向上」を目指すべきだ。

*1

 

 

非常に簡単な例を挙げるとキャラによって性能が異なるゲームだろう。特に格ゲー。

一度あるキャラに慣れてしまうと他のキャラを使うのが億劫になってくる。慣れたキャラは他のキャラより勝てるし動かしやすいからだ。

しかし全キャラを試してみなければ、性能が高いキャラやもっと自分に向いたキャラを見逃してしまいかねない。

普段の一戦一戦を大事にするあまりに重要な試合で負けてしまっては元も子もない。

普遍的に全てのゲームに当てはまるように言えば、一度や二度勝ったからといって特定の戦法を使い続けるのは愚策ということだ。
確かにその戦法は強いかもしれないが、もっと強い戦法があるかもしれない。

 

ゲーム内でも長期的展望は大事だが、ゲーム外の領域を含めた長期的展望を持つべきだ。

 

…まあ、チープな言い方で言うと「チャレンジしようぜ!」ということだ。挑戦したら失敗するかもしれないが、挑戦して失敗したという情報が得られる。

そしてこの挑戦とは負けそうだから博打を打つとかそんなのではなくて、勝ってようが負けてようが博打を打つべき、ということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:個人的には、勝ちを目指さないのが超エンジョイ勢、勝ちを目指すのがややエンジョイ勢、強さ(勝率)を目指すのがガチ勢だと思っている。