1つだけ蛇足を。私は20年以上も前から(『哲学の教科書』〈講談社学術文庫〉)、意図的に「ですます調」と「である調」や「だ調」を混ぜこぜにして使うことにしている。「ですます調」を使うのは、は読者に語りかけるという姿勢が出るからですが、あまりこれを連発すると文章末尾の「締まり」がなくなってしまう。そこで適度に「~だ」とか「~している」とか「とてもいい」とか「~と思う」という調子を混ぜて「変調」するのです。私だけだと思ったら、円地文子、曽野綾子、遠山一行などの玄人の文章にこの「技」を見つけて嬉しく思った次第ですので、今後もこの「技」を続行しようと思います。
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個人的に非常にユニークな意見だったので紹介する。
そうなんよな。なんで だ・である調とですます調を混ぜちゃダメだったかって普通はそうしないから、以上の理由はないよなあ。