全ての人間は真の意味で合理的になることは出来ない。
何故なら合理的な判断が出来る様になることが非合理的だからである。
人間は有限のリソースしか持たない。
時間、思考能力は無限ではなく限りがある。
そのため人間が得られる情報も有限になる。
生まれつき合理的に物を考えられる人はいない。そこには偏見やバイアスがかかる。情報によって人間は徐々に合理的になっていくものだ。
フレーム問題と言うのはロボットがあらゆる情報を利用しようとするために結論が出なくなる問題だが、これの逆で情報が少なければいくら考えても合理性が劣るのだ。人間が得られる情報は有限なので人間の合理性には限界がある。
まあ、と言っても人間のリソースを十分に費やせば充分合理的にはなれる。
しかし、人間のリソースの多くを費やすというのは簡単なことではない。しかもそれだけの努力で出来るようになる事は合理的思考ただ一つなのである。
人間の生きる目的は合理的になることではないので、人間は合理的な思考ができるようになると言う非合理的行為をする意味がないのである。
合理的に考えることのメリットを理解する為には合理的になる必要がある。だから合理的になる最中で「あ、これ以上合理的になる必要はないな」と気づいてしまう。
もし完全に合理的な人間が居るならば「私は完全に合理的にならなければならない」という非合理的信念に基づいている。その時点で完全に合理的な人間ではない。だから10割の合理的人間は存在しない。精々9割である。