私が最近気に入っている同人小説家*1を紹介しようと思う。
「ちびまるフォイ」氏だ。
ふざけた名前だと思うだろうか。
私も始めに見たときはなんだこの意味不明な名前は、と思ったものだ。
しかしながら彼は毎日ショートショート(数千字未満の短い小説)を投稿し続けている折り紙付きの小説家だ。
ここで彼の自己紹介をご覧いただこう。
どうした穢れた血め。
僕のプロフィールを覗きたいというのかい?ふっ。
僕のペンネームに釣られたというわけだ。
卑しい家の出に限って人の個人情報を知りたがる。カクヨム魔法魔術学校に入る前のことかい? あぁ、父親の都合でほかの小説サイトを転々としていたのさ。 一時期はショウセツカニナロウ寮にも出入りしていたよ。 でも辞めたんだ。 なぜかって? 決まってる。あそこには僕にふさわしくない。 魔法省に勤めている僕の父も同じ意見だったからね。 逃げた?この僕が? 僕を笑うのか? いいだろう。筆を用意してカクヨム学校で会おう。 さらばふぉい!
どう見てもふざけています対戦ありがとうございました——!
えー、おほん。
文学家が土足で逃げ出すような自己紹介だが、「毎日ショートショートを投稿する」というのは並大抵のことではない。
その様子から誰が呼んだか「アニオタの星新一」。(自分しか呼んでない*2)
彼の小説の特徴は文体の軽さだ。
各小説の平均文字数はたったの3000文字。下手をすれば読書感想文の方が長くできてしまいそうだ。(参考までにこの記事の文字数は1500字未満。この記事がスラスラ読めたなら屁でもない。)
そのあまりの文体の軽さは、漫画から絵を抜いて会話文だけ残したような軽やかさ、と言えば伝わるだろうか。
そう、この小説群はあまりに、あまりに軽い。
心情描写もろくになく、情景すら描かない、会話文でさえ最小限だ。
一般的な文学が力を懸けている部分に全くと言っていいほど無頓着なのだ。
しかし、それがどうしたというのだろう。
小説から小説らしさを極限まで取り除くことの何が悪い。
純文学とかいう何か選民思想を感じ取れてしまうようなジャンルはなぜ一般受けしなかったのか。
そしてそこにメスを入れ、読みやすくしたライトノベルはなぜ大衆受けしたのか。
予想外を排し、テンプレに従い尽くしたなろう系が大ヒットを飛ばしたのは何故か。
ああ、かくて物語から、文学性は、冗長性は、想像の余地は、失われてしまった!
だが。
そんなものは我々には必要ないのだ。
持て余すのなら、捨ててしまえばいいのだ。
無駄をこそぎ落とし尽くしたそこに残ったのは、ただ物を語るだけの物語。
ある意味で、最も純粋な文学。
そんな物語がそこに存在したのだ。