なんか今しがたテレビでおばさんが
「歩きスマホしてくる人がぶつかって来て迷惑だからやめてって言っても言う事聞かずに逆ギレされたわ〜ほんとやめてほしいわ〜世界はお前を中心に回ってると思ってんじゃねえよムカつく」
とか言っててめっちゃムカついたんで書きます。
たかがぶつかっただけじゃねえか。
逆になんで他人にぶつかったら迷惑なんだよ。ちょっと痛いだけじゃねえか。
ヤンキーがぶつかって来た相手に因縁付けて喧嘩吹っかけるイメージが強いせいか人にぶつかるのは迷惑とか思ってる人多いけどそんなに痛くも無いやんけ。
お前が勝手に迷惑だと思ってるだけだろ。
ハイタッチとか胴上げとか迷惑じゃないのと同じだろ。別にそれが知らない人相手でも同じだ。
キスなどならば好きな人以外からされたら嫌なのは渋々普遍的本能的感性として認めるが一瞬触れるぐらい別にいいだろ。
知らない人に一瞬でも触れられたら迷惑っていうのが社会の一般常識になったらスポーツという概念が存在できねーだろ。
仕方なくぶつかるのと不注意でぶつかるのは違うという人もいるだろう。
だが、精々が「ごめん」の一言で済ませて当然なもので、あるいは会釈でもいいぐらいだ。
韓国などでは「謝らない文化」があり、道端で他人にぶつかっても他人に謝らない。これは決して他人をリスペクトしないというわけではなく、逆に「他人に迷惑をかけるのが当然とみなされる社会」なのだ。
これは悪口ではない。
そもそも人はお互いに迷惑をかけあいながら生きていくものなのだから迷惑をかけられてもしょうがない、ということで済ます「許し」の文化だ。
当然のことながら人は他人に迷惑をかけずに生きていくことはできない。故に「他人に絶対に迷惑をかけてはいけないし迷惑をかけた人は謝罪しなければならない社会」より「他人の迷惑を受け入れる社会」の方が、良いのだ。迷惑をかけられる側にとっても他人にムカつかない方がいいに決まっている。
つまるところ、他人にぶつかられただけで他人にムカついてしまうような人はわざわざ不幸になりに行っているのだ。
ぶつかってくる人にぶつかってこないように努力させさせるよりもそういう人にムカついてしまう己の価値観を変えることに腐心すべきだろう。
それでもぶつかってくる方が悪いと主張するならせめて感情論以外の理由を用意して欲しいものだ。
自己正当化する人間は醜いと言われることがあるが、彼女はもはや自分の意見を正当化することすらしていない。醜い以下かよ。それじゃ動物だ。感情だけでものを語る。これが動物でなくてなんと言えよう。
他人にムカつく前に他人にムカついてしまう自分自身にムカつけよ。
もちろん彼女にムカついてしまった私も自省しなければならないのは言うまでも無い。
そういうテレビ番組を見ても一笑に付してしまえる人間になりたいものだ。