悪い事をする人というのは一体何を考えて悪い事をしているのだろうか。
例えば、なぜいじめが起こるのだろう。それは勿論楽しいからだ。
あるいは、なぜ強盗をするのだろうか。それは金が欲しいから、金があれば得だからだろう。生活費に困っていてやむなくやったにせよ遊ぶ金欲しさにやったにせよ、自分の為にやったのだろう。
つまり、言うまでも無いことだが悪い事をする人は「自分が楽しいから」とか「自分が得するから」とか自分のことを考えている。
では良い事をする人というのは何を考えているのだろうか
ここに一台のバスがあるとしよう。そしてそのバスには子供が1人と大量の妊婦がいる。この子供は親と一緒ではなく、1人でおつかいか何かに行く最中だ。今は全員が座れているがあと1人でも誰かが乗ったら誰かが立たなければならない状況である。
ここでバスに老人が1人乗り込んできた。
そこで子供は老人に席を譲ってあげた。
勿論この子供は良い事をしている。
なぜなら老人が喜んでいるから、他人を喜ばせているからこれは良い事である。
さて、ここからが重要だが
この子供はどんな気持ちで席を譲ったのだろうか?
この子供は悲しんでいるだろうか?いや違う。悲しみながら席を譲る人がどこにいるだろうか?この子供は喜んでいるはずである。
別の例えを出す。
ある青年がコンビニでお釣りを寄付した。
この青年はどんな気持ちで寄付をしたのだろうか?
まさか泣く泣く寄付をするはずはない。なぜなら寄付したくなければ寄付しないからだ。自ら望んで悲しみに行く馬鹿はいないことは容易に想像が付く。
つまりこの青年は寄付をして喜んでいるのである。
自分が何が言いたいかは分かってくれたと思うが、「良い事をする人は喜んで良い事をするのである。」
恋人にプレゼントを渡しては喜ぶし、見知らぬ人に道を教えては喜ぶし、乞食に金を恵んでは喜ぶ。
だから人がなぜ他人に親切にするかと言えば、
自分が嬉しいから
なのである。
まとめ
他人が得するように行動する人というのは、ただ他人に親切にすることが自分が楽しいとか嬉しいという価値観を持っているだけの話で
結局「自分が楽しいから」とか「自分が得するから」という理由で行動しているのである。
良い事も悪い事も自分が好感情を得るためにやっているのであってそこには価値観の違いしかない。
普通の人がなぜ人を殺さないかと言えば人を殺すと嫌な気分になるからであって、殺人犯がなぜ人を殺したかと言えば、その人のせいで殺人をする以上に嫌な気分にさせられたからか、殺人に罪悪感をそれほど感じないだけなのだ。
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