本ブログは「人間の生きる意味・理由・目的は幸福である」という前提から議論を発展させることが目的である。
しかしその前提に説得力が無ければ自分の主張に説得力は皆無である。
そこで上記の前提に納得してもらう前段として、今回は「人間の価値」が平等だとすると矛盾が起こることを論理的・数学的に証明する。
証明
仮定:「人間一人一人の価値が等しい。またその価値はプラスである。」
また、価値とは「その量が多いほど望ましい状態であると言えるもの」とする。 つまり、価値がプラスの物があればあるほど良い状態で、価値がマイナスの物があればあるほど悪い状態とする。これは自明として良いだろう。
H氏、I氏、J氏の3名が居る。そしてJ(Jack the RipperのJと覚えよう)は殺人衝動と自殺衝動を持っており、このままではJは IとJ自身を殺してしまうとする。この時、
(1)Hが何もしなければ
I,Jが死に、Hが生きる。
2人死亡 1人生存
(2)HがJを殺せば
Jが死に、H,Iが生きる。
1人死亡 2人生存
言うまでもなく仮定より多くの人間が生きている方がよいので、Hは(1)より(2)を選ぶべきということになる。
言い換えると、「Jは殺した方がマシ」ということだ。生きているより死んでいる方が価値を後世に残せるのだからJの価値はマイナスだ。これは明らかに仮定に矛盾する。
もちろん、HがJを説得するなどの選択肢もあるだろう。しかし不干渉より殺した方が得という時点でその価値は負だと断言できる。
別に自分は死刑の肯定をしたいのではないし、この論理は死刑とは無関係だ。これによってわかるのは優先して殺されるべき人間が存在するということ、つまり人間の価値は等しくないということただ一点である。もちろん 人間が殺人を起こせないならJなど存在しない と言えるだろうが存在するものは存在する。
ここでは仮定で人間の価値は全てプラスとしているが、全てマイナスだとしても同様に「Jは生きた方がマシ」となり矛盾するため有効である。人間は全員即座に自殺するべきということになる世界は存在しないようだ。
なお、仮定で人間の価値は全て0とした場合は矛盾は発生しない。なぜなら人間は等しく無価値なのだから殺そうが助けようが無価値だろう。しかし、人間が等しく無価値(ここでいう無価値とは死んだ方がマシ、なのではなく、生きていても死んでいても何も変わらないし、自殺しようが核戦争が起きようがどうでもいいという世界)ということはあらゆる動植物は無価値であるし、全てのものは無価値ということだ。
つまりこの世界では全てのものが無価値であるが、これは価値という概念そのものの否定であるため考えないことにする。別にそういう考え方の人が居てもいいが他人に殺されても核戦争起きても文句言うなよ。いや死人に口なしか。
以上より「人間一人一人の価値は等しい」と仮定すると矛盾が生じることが示された。
よって「人間の価値は平等ではない。」
この論法の優れた所は「人間の価値とは固有のものであり足し引きできるような代物じゃない」という意見を封殺できるところである。「一人の人間が死ぬのが確定していて、もう一人追加で死んでもよいか」というのを考えた時死なないほうがいいのは当然である。それを認めた時点でこの論理は成立する。
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