反社会的思考のススメ

【反社会的】[形容動詞]社会の道徳や規範から大きく外れているさま。 道徳、常識、法律、そういうものを超えた考え方を勧めたい。…勧めたかった。多分2019年11月は真面目に更新できてます。ブログ名詐欺な気はしないでもない。最近は毎日更新してるから仕方ない。 ←何言ってんだこいつ。数年後に見たらむっちゃ恥ずかしいこと言ってんな

哲学の本読んでみてるけどみんな何言ってるかわかんねー!

 

現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、物というものがなくなって行くことでなければならない。物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。例えば、物が空間において相働くということは、物が空間的ということでなければならない。その極、物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何処(どこ)までも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。

「西田幾多郎哲学論集III」より(このページ冒頭)

うーん。何言ってるかさっぱりわからん。

他の部分は「まだ分かるは分かるんだけど何か致命的な誤解をしながら手探りで進んでいるような感覚があって嫌だ」の程度で済むけどこの辺りはマジで何言ってるのかわからん。

お前は何を言っているんだ。(AA略)

 

しかも、これ、新章突入した冒頭での文章ですよ。

なんなんだよ絶対矛盾的自己同一って!

"故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。"じゃないわ何が「故に」で何だ「絶対矛盾的自己同一」という唐突に出てきた単語!

哲学者特有の、未知の単語を頭の中で定義してそのまま一切説明せずに進む形式本当に疲れる。しかも彼の場合そのテの単語ほとんどが多義的で玉虫色!

絶対このせいで難しいこと言いたがる意識高い系増えてるだろ…

 

なんか最近、哲学の本も読んだ方がいいのかなーと思って読んでるんですが意味不明です。

上の「善の研究」を著した西田幾多郎さんは日本人初の(西洋哲学の焼き直しではなく)独自哲学を編み出した人ってふれこみで本を読んだんだけどなーに言ってだこいつ。

いくら100年前っつっても明治と昭和の境界あたりでしょ?

こんなに分からないもんかい。

後生だからもっと分かりやすく書き直してくれ。(覚えたての単語をウキウキで使っていくぅ!なお彼は仏教徒な模様。)

 

 

 

今日ではドイツの中産階級のプロテスタント信者の大部分は、こうした無関心な人々になっている。とくに仕事が忙しい商業や交通の中心地では、こうした人が多くみられる。さらに勤勉な学者の大多数とすべての大学関係者がそうだ(ただし神学者は別だ。神学者が存在するということ、存在する可能性があるということそのものが、心理学にとってはますます解き難い微妙な問題となりつつある)。敬虔な人々、あるいは教会に所属する人々からみると、現代のドイツの学者が宗教の問題を真面目に考察するために、いかに多くの善き意志を必要とするか、極言すればいかに恣意としての意志を必要とするかは、理解しがたいところだろう。学者たちはそもそも職業的な性格からして(あるいはすでに指摘したように、現代的な良心からして、職業的な勤勉さをもつことを義務づけられているがために)、宗教にたいしては悠然とした態度を、ほとんど善意に満ちた明朗さに近い態度を示す傾向がある。この態度にはときに軽い軽蔑の気持ちが混じっていることがある。学者たちは、教会に信仰が捧げられるときには、つねに精神の「不潔さ」が伴うと想定しているからである。学者たちが宗教にたいして畏敬に満ちた真面目な姿勢で向かい、はばかるような配慮を示すのは、歴史の助けを借りる場合だけである(ということは、自分の個人的な経験によってではないということである)。しかし学者の宗教にたいする感情が〈感謝〉にまで高まったとしても、個人としては教会とか敬虔さのようなものに向かって、一足でも歩を進めたことにはならない。むしろその逆なのである。

著ニーチェ,訳 中山 元. 善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫) (Kindle の位置No.1350-1363). Kindle 版.

分からねえ。意味のわからなさのベクトルが逆方向だ。

単語の意味はわかるけど文章の意味がわかんない。(いや、さっきのは単語も文章も分からなかったが。)

まず大前提としてここまでの長文として引用しないと話さえ繋がらない時点で話長いわ!

まあそれは純文学とかもみんなそうだし許すけど結局主張が分からん。

それにしても翻訳者がいるから当然といえば当然なのだが外国人の本の方が読みやすいの笑えるなあ。

まあ笑えても結局ニーチェの言いたいことは分からんけど。

 

「有名な哲学者の主張を分かりやすく解説!」みたいなのにかなり助けられる屈辱を味わいながら読み進めておりますです。

分からん…