反社会的思考のススメ

【反社会的】[形容動詞]社会の道徳や規範から大きく外れているさま。 道徳、常識、法律、そういうものを超えた考え方を勧めたい。…勧めたかった。多分2019年11月は真面目に更新できてます。ブログ名詐欺な気はしないでもない。最近は毎日更新してるから仕方ない。

なぜ幼女になって触手に襲われたい男は多いのに触手になって女性を襲いたい人は存在しないのか

なぜ幼女になって触手に襲われたい男はネット上で散見されるのに触手になって女性を襲いたい男は居ないのか。ーーー

 

 

本記事では

・なぜ幼女になって触手に襲われたい男はネット上で散見されるのに触手になって女性を襲いたい男は居ないのか

・なぜエロ本で男の目が隠されるのか

・なぜ人は女体化願望を抱くのか

を説明しています。

結論読みたい人は一番下へどうぞ

 

 

 

インターネット上には千差万別・多種多様な性癖を持つ人で跋扈している。

もはや百合程度では露ほども驚きはしないだろう。

レイプ、ふたなり、催眠、近親相姦。

そこには己のリピドーの限りを尽くす獣がいた。

 

 

しかし、どうしてだろうか。この性癖暴露地帯においてさえ重々しい異質さを放つ人々がいた。

それが「幼女になって触手に襲われたい」という願望を持つ男である。

幼女になりたいというだけで女体化願望+被支配願望が見え透いているのだが、さらに触手に襲われたいとは如何なる了見なのか。とりとめの無い思考が我々の脳を巡ることだろう。

 

そして何より疑問に思うのがわざわざ女体化という手順を経ている点だろう。

すなわち、なぜ幼女になって触手に襲われたい男はネット上で散見されるのに触手になって女性を襲いたい男は見ないのか。

 

 

 

 

それを説明するために、初めに何故男は女体化したがるのかについて述べなければならない。

 

性的欲求を求めて女体化したがるというのはおかしなことではない。

科学的に男性より女性の方が感じやすいのはおおむね証明されているからだ。

だが、本当にそれだけだろうか。

本当に男は女の方が感じやすいというだけの理由でこれほどまでに女体化したがるだろうか。

 

 

 薄い本における男性の「目」の役割

それを探るためにここからは薄い本における男性の「目」について考えよう。

ここでは薄い本とは男性向けに書かれたR18同人誌に限定しよう。

さて、男性向けのエロ本においては往々にして男性の目は描写されない。

例えば鼻から上だけ不自然に影が差し見えないようになっていたり、そもそも顔を画面に映さないようにしていたりだ。

これは男性の描写を最小限に抑えることで男性側に感情移入する為だと説明される。

 

 

だが多くのゲーム作品(特にRPG)においては主人公は喋らないというだけで目線はキチンと描かれる。

主人公に感情移入させる方法論として目を映さないのは薄い本に限る。

むしろ普通の作品において目線が隠されるのは邪悪さや強キャラ感の表現であったり何か裏があるといった意味合いが強い。(黒幕の会議の場で殆どのキャラの目から上が隠されている光景を見たことがあるだろう。)

男性に感情移入するための方法として目線を見せないというのは違和感が残る。

 

そして何よりも強力な証拠としておねショタにおいて目は描写されるという点を挙げておこう。

おねショタの作品で男の目線が隠されているのを見たことがあるだろうか。私は無い。

もし男に感情移入するために男の目線を隠すのだと仮定すると「ノーマルセックスでは男に感情移入させるのにおねショタでは男に感情移入させない」となってしまう。

これは違和感が強いだろう。我々が何故おねショタに惹かれるのかといえばそれはお姉さんがショタっ子を手管手管で貶め苛めて辱める様子、そしてそれに恐れを抱きつつも半ば受け入れてしまい恥ずかしがった顔で熱いそれを迸らせてしまう様子に愛おしさと被虐心を覚えるためだ。

即ち十全におねショタを楽しむのであれば男性側に感情移入するのは必要条件であるはずだ。(女性側にもやや感情移入する必要はあるが…)

 

 

 

 キャラクターとは目だ

ここで「目」に関する重要な情報を提示しよう。

 

「キャラクター論」という学問が存在する。

これは最近できた学問の分野であり、キャラクターの意味・効果・定義・分類などを行う分野だ。

これに関する本「キャラクター精神分析」にはキャラクターとは目である、と書いてある。

適当な図形を描いてそこに目を書いてみよう。

そうしたらその得体の知れない生物にも何か設定があるような気がするだろう。それが愛着が湧くような、「キャラクター」としての素質を備えるものである。

例えば、日本でスライムといえば弱くて愛らしいイメージが強いがそれは鳥山明氏がドラクエで目が付いたスライムを考案したからだ。いまだに西洋ではスライムは何でもドロドロ溶かす凶悪な強モンスターとしての格がある。

 

 

つまり目が在るものに人は感情移入し、目が無いものに人は感情移入出来ないのだ。

 

 

…驚くべき事実だ。即ち、

エロ本で男の目線が隠されるのは男に感情移入させない為なのだ

 

 つまり一般的なエロ本において、男は 男以外=女 に感情移入する他無い。

 そしてこれが最も男の性欲を満たす手段なのだ。

 

旧来的思想の性役割(マッチョイズム)によれば男性は女性を支配するのが役割とされている。

男は女を支配して喜ぶし、女は男に支配されて喜ぶ。

しかし、男が女を支配して満たされるのは支配欲だけだ。性欲では無い。

男が「女を支配している自分」に酔いしれる時、男の支配欲は満たされる。

では性欲は?

性欲は「支配されている女性」を見て満たされるのだ。

至極当然のことを述べておくと、男という生物は、女を支配している「男」を見て興奮するのではなく、男に支配されている「女」を見て興奮しているのだ。*1

 

要するに。

エロ本に男は不要なのだ。

 

 

 男はエロ本を読んでいる時、女にしか興味がない。その女がどんなセリフを言って何を感じて何を考えているのかにしか興味がない。

 

その どんなセリフを言って何を感じて何を考えているのかにしか興味がない 状態を、我々は「感情移入」と呼んでいるのでは無いだろうか。

 

 

 

そして

 

 

女にばかり感情移入した男は、

 

 

女としての考え方、行動、感性をトレースし、

 

 

その結果、

 

 

女体化願望を抱くハメになるのだ。

 

 

 

これを踏まえれば、何故インターネット上には女体化願望を持つ人がこれほどまでに多いのかを説明でき——いやむしろ、オタクで女体化願望を持っていない人の方が異常なのでは、とさえ思えてしまう。

 

作品を読む際にはだれかには感情移入しなければならない

そして「キャラクター」が女しかいないのなら。

女に感情移入する他あるまい。

 

 

 

以上を踏まえれば百合が流行る理由も分かる。そりゃあエロ本に男はいらないから。

以上を踏まえればTSが流行る理由も分かる。そりゃあ皆女体化願望を持っているから。

 

 

…以上を踏まえれば——エロ本に男が不要というのを認めるならば。幼女が触手に襲われるプレイを見るのも分かる。だって、そこにはよがっている女の子がいるから。

 

 

じゃあ、

 

 

幼女が触手に襲われるプレイを見る男は誰に感情移入するのだろうか?

 

 

 

幼女に感情移入するしかない。

だって触手は「キャラクター」じゃない。目が無いから。

かくしてなぜ幼女になって触手に襲われたい男は多いのかを示すことが出来た。

彼らはただ幼女がよがっているところを見たくて、それで触手モノに手を出しただけで——そして幼女に、感情移入して、しまった。

 

 

 

私見だが、なぜ触手モノを見るのかというと、おそらくは「かわいそうじゃ無いから」だと思う。

触手モノを見る人は蹂躙したいか蹂躙されたいという願望のある人だけだが、しかし暴力的な男がいたいけな幼女を慰み者にするのはその残虐性がかわいそうに思われる。

いわゆる「かわいそうなのはぬけない」のコラだ。

しかし触手に蹂躙させるのであればそこに「悪意」はない。

かわいそうではある。あるがそこには醜悪な人間関係などはなく、ただ自然の摂理が行われているのみだ。

 

 

 

そしてここまで考えれば触手になって女性を襲いたい人はなぜ存在しないのか、なんて「触手はキャラクターじゃ無いから」の一言で終わる。

触手が(例え念波であっても)喋るような作品が気に食わないという人が居るのは触手がキャラクターじゃ無いからだろう。

 

 

 

 

要約

  • キャラクターとは目である
  • いずれかのキャラクターには感情移入しなければならない
  • エロ本では間違っても男に感情移入させないために目を隠す
  • エロ本に男は不要
  • 人は感情移入した先の人物になりたくなる(=女体化願望)
  • 百合モノばっか読んでると女体化したくなるから気をつけろ!(超重要)(実体験)(コーナーで差をつけろ)

 

 

 

 

P.S.

どうでもいいのだが女性で触手に襲われたいと思っている人は相当数いると思われる。

少なくともそういうのをおかずにする人は多い…はず。

自分の知り合いはたまにそういうので抜くらしい。

 

*1:※性的少数者に対する侮蔑の意は含んでおりません。あくまで一般論であり、遺伝的傾向論です。念の為。