反社会的思考のススメ

【反社会的】[形容動詞]社会の道徳や規範から大きく外れているさま。 道徳、常識、法律、そういうものを超えた考え方を勧めたい。…勧めたかった。多分2019年11月は真面目に更新できてます。ブログ名詐欺な気はしないでもない。最近は毎日更新してるから仕方ない。 ←何言ってんだこいつ。数年後に見たらむっちゃ恥ずかしいこと言ってんな

人間と動物は区別できない。

 

人間と動物は区別できるだろうか。

人間というこの世界で特別視される者と動物という人間に使われる物。この二つには明らかに隔絶が存在する。

だがしかし、人間も動物も生物という括りでは同じであり、人間は生物の一種に過ぎない。では、人間と動物の間にある隔絶とは一体なんだろうか?

もちろん遺伝子という答えはこの問題の答えになって居ない。確かに人間と動物の遺伝子は違うが、人間同士も異なる遺伝子を持っている。遺伝子の違いは種族の違いではないのだ。
現代では人間か動物かが微妙な生物は存在しないが、かつては人間と猿の中間の生物が存在したはずだし、その生物と人間の中間(1/4が猿で3/4が人間)の生物も居たはずである。どこからを動物としてどこからを人間とするかがはっきりしない。

また、仮に人間の遺伝子のモデルケースを持ってきてここから誤差◯%以内なら人間とするとしても、時間が経てば人間も進化して誤差の範囲を超えるかもしれないし、逆に猿が進化して人間に追いつくかもしれない(個人的にはそれは人間として認めてもいいい気がするが)。

 

 

だから人間と動物を区別するには絶対的な基準が必要となる。

 

人間と動物の区別に関してこのようなことがよく言われる。

『道具を作る動物は、人間だけだ。』

別に「道具を作る動物が人間である。」ということにしても良いが、これは道具を作れる動物を人間扱いし、道具を作れない人間(赤子など)を動物扱いするということである。

もっと抽象的に考えて『知能が一定以上の生物を人間とする。』とする案も考えられる。人間は賢いから人間なのだと考える人は多いだろう。それを踏まえれば自然にも思えるが、結局これも同じ問題が発生する。成長したチンパンジーが4歳程度の知能を有する一方、言うまでもなく人間の1歳児の知能は1歳児並みである。

つまり人間の赤子を人間扱いするなら成長したチンパンジーも人間扱いしなければならないし、チンパンジーを動物扱いするなら人間の赤子も動物扱いしなければならない。

成長した時の知能で考えるべきと言う意見もあるかもしれない。しかし重度知的障害者の知能は赤子並みであることや、先天的病気により長く生きられない(成長しない)ことが確定している赤子のことを考えるとその意見はやや的外れである。

 

 

「人間とは心を持つ生物のことである」としても「人間とは文化を持つ生物のことである」としても同様、人間と動物を区別できる要素は見つからない。

結局人間と動物は明らかに異なる存在ではあっても他を超越している訳ではないのだ。