反社会的思考のススメ

【反社会的】[形容動詞]社会の道徳や規範から大きく外れているさま。 道徳、常識、法律、そういうものを超えた考え方を勧めたい。…勧めたかった。多分2019年7月は真面目に更新できそうです。

効用が感情によるものならば限界効用逓減の法則が証明できる(価値の非線形の原理の説明)

限界効用逓減の法則というものがある。

経済学を知らない方に簡単に説明すると(自分も詳しくは知らないので間違っていたら指摘してください)「希少性には価値がある」という法則のことである。

※経済学に疎い人へ 以下の記述では 効用=価値 と読み替えてよい 以降()内で経済学用語を説明する ex.効用(価値)

1リットルの水に対し「A自分で飲む」「B料理に使う」「C洗濯に使う」「D掃除に使う」「Eドブに流す」という選択肢がある場合に、最初に与えられた水1リットルはその人が最もしたいこと(最も効用の高い行為、例えば「A自分で飲む」)に使われる。次に与えられた水1リットルはその人が次にしたいこと(2番目に効用の高い行為、例えば「B料理に使う」)に使われる。同様に追加で与えられた水1リットルに対し、それを何に使うかが決まっていくが、その人が合理的に行動すれば、

1番目の行為の効用≧2番目の行為の効用≧3番目の行為の効用≧4番目の行為の効用、、、
ということが言える。同じ水1リットルに対し、人が合理的に行動すれば、その効用が順次減っていく。これが限界効用逓減の法則である。

限界効用 - Wikipedia より引用

自分はこれに自己流の要素も含めたものを価値の非線形の原理と呼んでいる。

限界効用逓減の法則は経済学者に受け入れられてはいるものの、実体験の上での経験則であり証明は不可能であるとされている。しかしこの法則はある一つの仮定を設定すれば導くことができるのである。

その仮定とは「1人の人間が感じる効用には上限がある」である。これが本当の「限界効用」か、一般的な意味での。個人的にはサンクトペテルブルクのパラドックスを効用の観点で解決できる面白い仮定である。

自分にとっては効用イコール幸福であるので、この場合幸福量に上限があることは明らかである。何故なら幸福とは脳内物質によってもたらされるものであるから物理的限界があることは想像に難く無い。幸福と効用は同じでは無い(外部リンク)という意見もあるが、どちらにせよ極端な話あなたがなんでも願いが叶えられるとしてその時の効用が無限でなければ上限があるということである。正確には願いがなんでも叶うからといって効用が最大とは限らないが。
P.S.よく考えたら効用が感情・精神によって定まるなら同様の理由で幸福量に上限があるのは明らかだった。つまり「効用=感情」説や「効用=満足」説なら限界効用逓減の法則が証明できることになる。

何はともあれ「1人の人間が感じる効用には上限がある」が正しいと仮定する。

すると全ての財が無限にあっても得られる効用は有限になる。よって一種類の財(価値ある物・サービス等)から得られる効用も有限になる。つまりある財を無限に持っていたとしてもそこから無限に効用は得られないということになる。

そのため財の量に比例して効用が得られるというモデルは否定される。何故ならy=axでx(財の量)が無限になるならy(効用)も無限になるからだ。

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(上のグラフでは仮に500を効用の上限としている)

青がy=ax。無限に効用が得られてしまう。

かといって赤グラフのように上限に達した途端突然効用が得られなくなるというのは不自然である。この手のグラフは突然折れ曲がったりすべきでは無い。

であるならば水色か紫色のグラフのように限界効用逓減の法則が成り立たなければおかしい。

(但し「1人の人間が感じる効用には上限がある」のだから「下限もある」と考えるの自然である。そのため紫色のグラフはやや不自然に映る。それも考慮するならxが負の場合も対応できるy=1000*arctan(x)/π などが自然なグラフだろうか?)

よって「1人の人間が感じる効用には上限がある」から限界効用逓減の法則が導けた。

なお平均値の定理などを使えば数学的に厳密な証明もできるのであろうが手に負えないので省略する。