反社会的思考のススメ

【反社会的】[形容動詞]社会の道徳や規範から大きく外れているさま。 道徳、常識、法律、そういうものを超えた考え方を勧めたい。…勧めたかった。多分2019年11月は真面目に更新できてます。ブログ名詐欺な気はしないでもない。最近は毎日更新してるから仕方ない。 ←何言ってんだこいつ。数年後に見たらむっちゃ恥ずかしいこと言ってんな

人間はどんな行動をとるか(簡易モデル)

人間の行動は「価値観」「情報」によって概ね決まる。

より詳細なモデルは「現在性効果」「環境(特に親・金・アクセスコスト)」「リスク許容度」「メタ認知能力」が必要になるが今回は簡易モデルなので無視する。 

 

 「価値観」とはその人が何を好むかと言うことである。

夏より冬が好きとか、遊ぶより寝るのが好きとか、富とか名誉より翼がほしい等である。つまりその人にとってどんな人生が良いかのことである。

「情報」とはそのままの意味であるが、これにより「選択肢」と「(各選択肢の)不確定要素」が定まる。

 

 

例えば「何もしない(休息とは別)」「スマホゲームをする」「勉強をする」の3つの内どれかをするとする。

普通の価値観であれば「何もしない」よりか「スマホゲームをする」を選ぶ。

これは「何もしない」という選択肢が何の幸福を生まないからで、「スマホゲームをする」という選択肢は今の幸福を生むからである。また、この時知らないゲームは遊べない。知らないゲームを遊ぶためにはその存在を必要があるからである。これが「情報」の価値である。より面白いゲームを遊ぶためにはそれを調べたり聞いたりする必要があるのである。「情報」によって「選択肢」を増やせる。

どうせゲームをするなら面白いゲームがしたいのは言うまでも無い。価値観によってもどのゲームが好きかは異なるが、情報を知っているほど各々にあったゲームを見つけやすくなる。

そして「スマホゲームをする」という選択肢は今の幸福を生むので不確定要素が小さい。なぜなら「勉強をする」は将来役に立つかもしれないが役に立たないかもしれない。それに対して「スマホゲームをする」は今楽しむためにしていることなので将来に何があろうと人生の目的に適っているので確実に人生の役に立っている。

そのため「勉強をする」ことの成果の不確定要素は大きい。人生において学校で習ったことなんて一度も使わずにコンビニバイトとして人生を終える人もいれば、学者としてフル活用する人もいるのである。(あくまで「勉強をする」ことの「成果」に関する話。人生全体で言えば勉強をしたほうが職がなくて飢え死ぬような危険が減る。よって「人生の」不確定要素は小さくなる。)

だから初めからコンビニバイトとして生きていくと決めた場合は勉強をする選択肢が役に立ちにくくなるし、学者として生きていくことを決めたのなら勉強をすることが役に立ちやすくなる。

これは「自分が将来なる確率が高い職業」と言う情報によって「勉強をする」という選択肢の不確定要素が減っている。

 

このような要領で「その人の持つ情報の範囲内で幸福量が最も多くなる選択肢を選ぶ」のが人間である…はずなのだが現在性効果のせいで実際はかなりずれている。現在性効果が存在しなければゲームなんかせずに皆勉強するだろうし、コタツに引きこもらないし、自殺したい人は躊躇うことなく自殺するはずなのだが…

 

まとめると、

  • 人の行動は価値観と情報を中心として定まる
  • 情報が多いほど選択肢が増える
  • 各選択肢の価値は情報によって後天的に変化する

の3つが重要ということになる。