反社会的思考のススメ

【反社会的】[形容動詞]社会の道徳や規範から大きく外れているさま。 道徳、常識、法律、そういうものを超えた考え方を勧めたい。…勧めたかった。多分2019年7月は真面目に更新できそうです。

幸福量は幸福度×時間で求められる

 

 前回の記事で幸福量を最大化することが人生の目的だと言った。

では幸福量とは一体何だろうか?

 

自分はこれを 幸福度×時間 で定義している。

まあこれが一番自然な定義だろう。

これにより、他人の時間を奪う(=殺す)ことを一般的に悪だと言える上に特殊な場合ではこれを善とも言える。
(あと子供を産むことの善悪は場合にもよるが先進国ではほぼ100%善となったり努力という単語の定義が非常に滑らかになったり情報の価値を計算できるようになったりと万能なのだが…説明が冗長になるので詳細は後に別の記事で説明する。)

よって「子供を身籠った人が1人殺されるより子供を産む気のない人を全員殺した方が良い」とか「子供を産まない方が良い」とかの訳がわからない結論を避けることができる。
まあこれはこれで「人間の尊厳や人権の存在を証明できなくなる」とか「赤子は実質動物だから猿と同等の権利しか持たない」とかヤバい結論が大量に出るけど上に書いた結論になるよりかはマシなのでセーフ 
…あれやっぱり人間に生きる意味なんて何一つ存在しないのでは…いや人間に生きる意味が存在しなかったら善も悪も存在しないからこっちの方がまだいいはず…多分…

 

この式 幸福量:=幸福度×時間*1 の重要なポイントをいくつか挙げる。

幸福度の平均を上げるのが良い

今後得られる幸福量=今後の幸福度×寿命=今後の幸福度の平均×寿命 である。

よって幸福量を多くするには今を幸福にするのではなく、将来の幸福度の平均を上げる方が良い。

簡単に言えば「今勉強すれば将来役に立つ」の拡張版である。今不幸になって将来をより幸福にした方が良い。これが自分の考える「努力」の定義の根幹にある。

過去の幸福量は変化しない

例え記憶喪失・記憶改変が起こったとしても定義上は過去の幸福度は変わらないので過去の幸福度は固定であり、変動しない。記憶じゃなくて過去そのものが改変された時とか別世界線とかの概念を持ち出して考察すると矛盾のような何かが発生して訳がわからなくなるが無視する。そういう考察してたせいで「ドラえもん のび太の新魔界大冒険」で別世界線も救おうとしてたのび太を笑えなくなったぞどうしてくれる。

もちろん過去が幸福な方が今も幸福を感じるだろう。しかしそれは過去が今の幸福度に影響を与えているだけで、今が過去の幸福度に影響を与えている訳ではない。

だからたとえ幸福な経験をいつか忘れるとしても一時的にでも幸福であることは意味があるとする。

そもそもいつか忘れる記憶に意味が無いのなら寿命のせいで100年も記憶を覚えてられない人間の記憶に意味はないことになる。

計算が楽

シンプルイズベスト。実生活で十分に応用が効く計算のしやすさ。以上。解説もシンプル。

 

まとめ

・幸福量:=幸福度×時間

・幸福度の平均を上げるのが良い

とりあえず実用上は上の二つを覚えておけば十分だと思う。 

 

 

*1:「:=」は「定義する」の意